6.4.22…「虎と翼」④


調停時には、本来、両者が席を同じくして面談・話し合いをするのですが、私の場合、状況からそれは危険であると判断されて、

期日は同日でなければならないので、裁判所内の階の違う部屋で、それぞれ別々に調停委員さんが自らの足を運んで下さって、話を進めてくださったのです。


私は、ただただ「離婚する」ことだけを望みました。

しかし、離婚を承知するというその時になって、マンションが共有名義であることに気がつきました。そのことはどうしたらよいかと尋ねました。元々「お金を貰う」ことを望んでいませんでしたから、私が死んだ時には、どうせ子供たちに渡るのだから名義はそのままでとお願いしました。


調停委員さんは、「やはり、法的な措置が必要です」ということで、彼に話してくれました。

ところが、夫婦でもないのに共有名義には出来ない。俺の名前に書き換えろと言うのでした。


これに対して、調停委員さんは、はっきりと「何を言うのですか。二人で築いた財産です。なにがしのお金を支払いなさい」と彼に言ってくださったのでした。

でも、彼の提示してきた金額はあまりに低い額でした。瞬間さすがに、私も憤然とした気持ちになりました。調停委員さんは交渉に行ってくださいました。


交渉にいってくださっている間、私は自問自答していました。

私は、「お金を欲しいと思っていたのではないのに」「例え、名義が変わろうと、彼が亡くなれば子供たちに渡るのだから、状態は変わらないのに」……


戻ってきた委員さんの口からは、「少し上乗せしてもらいましたよ」と。本当に私は恥ずかしくなりました。 

それらのことは、はからずも自分の手になにがしかのお金が入ったのでした。

その後、冷静に考えた時、そのマンションを購入した時に共済組合から借用した残額があり、その時まで返済を続けていました。

その残額がそのもらえた金額だったのでした。全て不思議に展開されていったのです。


そのように速やかに思いがけない展開を見せて、運んでくれました。平成十二年九月に、無事離婚することが決まりました。

調停成立の日は、奇しくも、昭和四十六年九月に北信濃から上京して彼と出会って、丁度満二十九年でした。


調停委員さんは「恥ずかしい行いを重ねれば、必ず裁かれますよ。あなたのように清らかな心で一生懸命生きれば、幸せになれるでしょう。早く立ち直り、新しい人生を生きてください」と、励ましてくださったのです。


その翌月、総本山へお詣りの時、お聞きしたお話です。

「因果によって、裁かれるのです。誰が裁くものでもない。己の因により果となるのです」と。

先の調停委員さんの言葉と同じでした。それは私自身への言葉でもあり、心していきましょう!

「今日の日の精進が段々楽しみに感じられる。それが信仰の功徳です」と、御住職様に教えていただいた言葉をかみしめています。


○ 「我らしく我に出来ること何かせん 求め願いてできる限りに   永久」 (続く)