6.3.22…「知恩・報恩」 ①


1980年代から約10年、「一杯のかけそば」という実話をもとにした童話として知られ、話題になったお話がありました。


その後、その話の事実関係の信憑性、矛盾が指摘され終焉となったという。


参考までに、そのあらすじを載せてみたいと思います。

1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。

閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけぞばを1杯頂きたい」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でした。

そして母子は出されたかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった

「北海亭」のかけそばを食べに来ることが、年に一回だけの贅沢だったのだ。

翌年の大晦日も杯、翌々年の大晦日は杯、母子はかけそばを頼みにきた。

「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。

しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続けた。

そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子人が再び「北海亭」に現れる。

子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子人でかけそばを杯を頼んだ。」

というお話です。


確かに終焉は残念な結果ですが、世相は殺伐として来た様相の中で、その様な人情美談を欲していたのかもしれないと。

私は思ったりするのですが、、


そのお話から「恩」ということを思い浮かべたのでした。

先に「恩」について連載してきました。その中で書いたことを再び、載せてみます。


【刻石流水】という名言です。

それは、「受けた恩義はどんな小さくても心の石に刻み、施したことは水に流す」こと。

人から受けた恩は、その人に返すのみならず、より多くのひとに施すこと。そして自分が施したことは、その瞬間に忘れる事。

元々は、仏教経典にあった『懸情流水 受恩刻石(情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし)』から来ている言葉で、自分一人の力で成し遂げたという考えた方は傲慢であり、受けた恩を一生忘れず、誰かに返していくことができる自分でありたいということ。。。


日本の風土、人情は、その様なお話に感動します。そんな心情が下支えのお話の様にも思うのです。 (続く)