6.3.16…「想定外」完


基本的には自分の生活、生活が信心したことによって明るくなる。何でも叶うか?

何でも叶ったら大変だ、不幸になってしまう。

例えば、浪費癖の人が、願いを持っていくと、どっかの誰かに似てくるよ。

うまくやろうとする。

結局、そういう願いは叶わない。叶うと不幸になることが分かってくる。仏様が教えてくれている。


仏様の教え、釈迦の化道の流れと、大聖人様の化道の流れと二つある。

自分の好きな方に、性欲(しょうよく)性根によって、方便(仮の)の道に入っていく。

 

信心をし、生活をよく見つめて努力していくと、10~60年たっていくうちに、大きな違いが出てくる。大勢の眷属と共に安穏な生活ができる。


自分中心の考えで歩いてきた人が、晩年の時のどんな風になるか、それは現実。

直視しなければダメ。

馬鹿になることもなく、卑屈になることもない。やがて、そうなっていくんだから。


若い人達の落とし穴、「平等」。平等でないのはおかしいという考え方。

生老病死は誰もが通っていく道。年寄りを笑うな、お前のいく道だよ。

全てよく忘れる、モウロクしてきたとか言わなくてもいい。

年取ってくると、言われなくても分かるようになる。

いよいよ来たなと思える。


世間では、潜在している悪が、ドンドン出てくる。何で分かるか、内部告発、内部告発の立場を守れるような形が出てくる。

(公益通報者保護法が平成18年4月1日から施行される)


正直、真面目、地道に、一生懸命努力していく人に、日の目が当たってくる時が来るよ。 

正直に、真面目に、人に信用されるような振る舞い、そういう人が欲しいということになる。


すねたような、ひがんだような考えを捨てる。捨てて、常に、明るく行きましょう。

とお話でした……。


自分のことで言えば、私は、昨年本当に思いもよらない、想定外の展開で、次々に嬉しい出来事が続きました。

まさに、功徳ですが、そんな「有頂天」の姿の中には、慢の心の姿と、最も信心の心を弱める働き、「魔」の姿が入り込んできたのです。


御書にも、「魔は天界に住む」とありますが、まさにそのとおりでした。

此のことは、常々自分に言い聞かせ、お友達にも伝えていることではありましたが、いざ、自分に襲い掛かってくると、ガラスのように脆弱な私の心でした。

「衣座室の三軌(信心の心得)」には、到底程遠い、自分の姿を見なければなりませんでした。


「我此土安穏」、「宝土不壊」のご文の色紙を飾るお仏間を頂き、「ご遷座式をしたい」、「孫の七五三をお寺でしたい」、「父の33回忌を子と孫と一緒ににぎやかにしたい」との想い・願いに対して、尽く、息子に拒まれてしまいました。

それが叶う信心は、そんなに簡単なものではないとのご住職さまのご指導でした。

厳しい試練が待ち受けていたのです。(.……これらのことは書いたその当時。以下のことも同じですが)

その上、思いもかけずいただいた職場でしたが、これまた、「契約更新なし」この3月末で職場から去らねばならなくなりました。 


これらのことは、自分の心の中で想定するならば、マイナスの出来事なのですが、こと信心の目で見たときには、果たしてどうなのでしょうか。

一つの見方は、先程申し上げたように「魔の働き」、信心を鈍らせようとしている。また違う観点では、「さらに、信心に精進しなさい」ということ。信心を強めることを意味しているということ。

いずれにしろ、全て、御本尊様のお計らいと心得て、なお一層の精進をさせていただきたいと祈るばかりです。


『自らの誓願は自らが破らない限り、必ず成就することができる』とのご指南でありますから、本年は、私にとりましても、想定内の自分の頭で測る信心から、想定外、ご本尊様のお知恵をいただける信心の姿勢に、スイッチを切り替えていく年であると、決意するものでございます。

今までは、この言葉が言えませんでした。口に出して言わせていただけるということ「自覚」という言葉を心に染め、随力弘通・随力演説させていただける自分になりたい、してまいりたいと存じます。

その後、先に願っていた事が、不思議な程、叶っていたのです‼️

「心の想いの強さは必ず通じる」と今の菩提寺の御住職様が常にお話なされています。


また、その当時から数年を経て、

コロナ禍といい、自然環境の想定外の出来事が起こっています。

人のエゴとも言えるウクライナとロシアの戦争やイスラエルで繰り返される内戦などなど。

今年に入っては、元旦早々の能登半島地震による海岸線の地殻隆起など、考えも及ばない……出来事。


人の思い知る事ができないまさに「想定外」……人間の知恵の計り知れない事。畏敬ということ。もっと謙虚にありたいと願い、皆んなで学んでいきたいと思うのでした。(終)