6.2.28…「いまここここで生きる」…完
纏めた小文「働くこと」「勤めること」、それは「心して生きるということ」は、前回で終りです。
私にとって、1/16(薮入り)を迎えて、「今日迄生きながらえて…生きてきた・生かされて・命を頂いて……」色々な言葉が浮かぶ「傘寿」という大きな節目の日でした。
※薮入り……かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中、奉公人などが実家へ帰ることのできた休日。今、私の落ち着いた休日です。
平成30年に不思議な展開で、元夫の葬送を私の菩提寺で、お願いすることが出来ました。
その夫とのことは、拙書「六根清浄ー親と子の絆ー」に書きました。興味のある方はご覧ください。
それから今日迄、自分がやりたいと願っていたことにトライ出来て、細やかながら「自由自在」に生きていられます。
穏やかに傘寿を迎えられたのです。
そのことを投稿したBlogを
見られた方から、感想コメントがありました。
それは、『もしかしたら、今が一番いいときなのかもしれません。健康に気をつけて充実した余生を送りたいものですね』と。
私から返信→→→「仰るとおり、今が一番いい時かもしれません。
これからは、『老いとの鬩ぎ合い』になりますね‼️
迫り来る最期臨終迄、ピンピンしてということは、先ずあり得ないことでしょう😞
その事を自覚しなければという事を教えてくださり、有難うございます❣️
最期臨終を見据えて、覚悟して余生を生きること!知りました☺️
感謝です🙇🙏」と、、、。
そのことを、息子にLINEしました。すると、
「80にして79の非を知る」と返信あり。??
→→→聞いたことあるけど、何だったっけ??と聞く。
→→→息子からの返信です。
「故事、50にして49の非を知るです。」
→→→私からの返信LINE
「ありがとう😊今まで生きてきたことは、過ちばかりとはいえないけど、ある時、「意識していなかった(非)ことに気づいた」ということかな!そうなんだなぁと知ったと思う。と……
返信にあたり、ググってみた……
【五十にして四十九年の非を知る】……五十歳になってみて、それまでの四十九年間の人生の過ちの多さを知るということ。
また、その過ちの多さを知って反省するということを意味する。
《遽白玉(きょはくぎょく)、行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す》出典『淮南子』
(えなんじ)遽白玉は、孔子と同時代の名大夫。
その遽白玉は、幾つになっても自分自身の行いを省みて、身を正し続けた人物だと言われます。
それは当時としては晩年と言える五十歳になっても六十歳となっても止まず、老年となっても過去の非を改めて、新しい自分へと変え続けた(化す)という意味です。
ある時、遽白玉が孔子に使いを送ってきました。
要件がすんでから、孔子がその使いの者に、「近頃ご主人のご様子はいかがか」と尋ねたところ、
『主人は、自分の誤りを正そうと努力なさっていますが、未だ十分にはそれが出来てはおらないご様子です。」と答えたそうです。
孔子は「ご主人はお元気か」程度の軽い意味で尋ねたのでしょうが、
使者の回答は孔子の予想とは違ったものでした。
しかしこの答えを聞いた孔子は、
答えた使者に感嘆し、さらに使いの者一人一人にまで行き届いた教育している遽白玉に感嘆したそうです。
だんだんと当時の遽白玉の年齢に近づいてきて、遽白玉のこうした話の数々を思い出し、我が身と引き比べると胸が痛んでしまいます。嗚。と………。いう詩だそうです。
AmebaBlogへのある方のコメントへの返信
→→→「もしかしたら今が一番いいとき」なのかもしれません。健康に気をつけて充実した余生を送りたいものです」と。
その方のおっしゃるとおり、今が一番いい時かもしれません。これからは、「老いとの鬩ぎ合い」になりますね‼️迫り来る最期臨終迄、ピンピンしてということは、先ずあり得ないことでしょう😞
その事を自覚しなければという事を教えてくださり有難うございます❣️「最期臨終を見据えて、覚悟して余生を生きること!」だと思ったのでした‼️
また、松下幸之助さんの今日の日めくりというFacebookに、次の様な投稿がありました。
「とらわれるから行き詰まる」と。
「執われてしまう」
それは、自分で計らおうとする事からなのかもしれない。小さな自分を忘れて、委ねるという大きな意を知らずに……と感じたのでした。
また、他の投稿でも、
【人生で大切なこと】
・自分をゆるす
・他人を変えようとしない
・会いたい人には会いに行く
・素直になる
・嫌なことは忘れる
・他人の目ばかり気にしない
・よく寝る
・夢を持つ
・今ある幸せに気づく
・自分を知る
・自尊心を持つ
・恋をする
・適度に運動する
・よく笑う
- 作者不詳 -
というのも、見つけました!
私にはその中の、恋はないですけどねー(大笑い🤣)
こんな風に楽しめることも出来て、何と穏やかな「今が一番いいとき」と思えるのです(^^)
しかしながら、必ず来る老いと最期臨終。
心して「今を生きたい」と思います。この稿は、ここで終わります。
ありがとうございます😊
ここ迄書いてきて、あることを気づきました。
後日、また、書きたいと思います。よろしくお願いします🙇