6.2.26…「いまここで生きる」


「即戦力」について、勿論個人差はありますが、初めから即戦力になれるわけがないと私は考えているのです。各企業、各社には夫々のビジョンやシステムや社風という「培われてきたもの」、方向性を持つ、ノウハウが厳然とあるのだと感じています。


また、日本という風土の中で、伝統・文化として引き継がれたよい面(悪い面も)もあると思います。そこには、日本人の持つ「曖昧さ」というものもありますが、「人の心」ということを大事にしてきた文化があるように思います。


世間の中で、「企業や経営者だけが、自分だけが儲かればいい」という風潮に対して取り沙汰されて、即戦力・経済重視の考え方が主流と観じられる近頃でも、単に、二極化で考えるものではないということを、人はどこかで「感じている」のだと思うのですが、如何でしょうか。


但し、ソコには「善」も「悪」もあることを知らなければならないと想います。社会的責任(CSR)という観点、見分ける目も磨いていかなければならないでしょう。

人という文字は「支えあう」ということ。人も人間も社会も、企業も、国も、世界も、地球も、規模の大小はあっても、所詮、支えあい、互いを認め合う心、その「心」が大事でしょう。


労働で言えば、還元を受けて、働く人は喜ぶ。働くこと・仕事をするのが楽しくなる。家族も喜ぶ、喜ぶ顔を見れば、もっとしっかり楽しく仕事をしようと思う。「もっと」という意味合いは、過重労働ということではありません。楽しみながら、ルールを守って働くことです。ルールということの中には、安全の視点、労働条件の視点、人それぞれの心持ち・心構えも、色々含まれます。

人が生きていくこの世の中では、一人だけ、一企業だけではない。いろんな関わりや縁や出会いがあって、自然環境にも影響されて生きていくわけです。


自然環境という視点では、「地・水・火・風」という四大要素、一切の物体を構成する大きな四つの要素ということですが、地とは土・ところ・国土という意味合いが、水とは水・川・海などを、火とはまさに火力・エネルギーのこと、風とは空気・現代風にいえば空気汚染などの環境といような意味合いになるのでしょうか。 

特に、近頃の冬は、世界中で荒れ狂う寒冷・豪雪などの異常気象、又反対に、暖冬・氷河が溶け出しているなど、猛暑・酷暑、局所的豪雨、竜巻の発生、地球汚染との関係も取り沙汰されております。皆、それらが影響しあっている人間社会、大きく言えば宇宙、地球です。


人間という字は、人と人の間ということ。人の間には、それらの色々なことが競合し影響しあってできているという意味があるように思います。

厚生労働省で提唱している「THP」、トータルヘルスプロモーションプログラムという考え方にも通じるのではないでしょうか。

人というものは、先程も申し上げましたが、人が持つ器官があり、その感覚があり、感覚となる対象を認識する働きがあります。器官そのものには何の変化・働きもありませんが、「対象となるもの」に出会ったとき、さまざまな形や働きが現れてきます。トータルして全てに関係し影響しあう。感覚となる対象を認識する働き、言い換えれば、「心の存在」というものが大きく左右していると思うのです。これは、単に、安全・衛生という視点だけではない、大げさに言えば、人生そのものに関わる考え方だと感じています。


そのように、いろんな情勢・状態の中で、影響し合っているわけですが、それがプラスやマイナスの方向に働くと考えたときには、皆が一様に同じような状況下にはありませんから、挫折や障碍にぶつかったとき、摩擦も起こり、いろんな出来事も生じて来ます。それが当たり前。そうではありませんか? 


皆、顔が違うように、「桜・梅・桃・李」花は似ていますが、夫々の持ち味があります。それが、生きているということではないでしょうか。

 

ここで、少し視点を変えて、行政の現役の時、労災事務を担当する窓口の現場で感じていたことをお話してみたいと思います。労災事故(事故というものは外の事故でも同じことがいえると思いますが)は、どんなときに起こりやすいでしょうか? 


先ず、朝の始業の不慣れな状態のとき、お昼の前のほんの少しの気の緩みのとき、夕方の終業間際のときなどに起こるといわれています。そこには、その人の「心」の状態が見えると思います。その背景にあるものが浮かんでくるのです。職場での人間関係、仕事への重圧、家庭での悩みetc

それは=全て「心の状態」が反映しているのではないでしょうか。


残念ながら、特に死亡災害に至った事例では、その背景には「家庭環境・生活の状態」などが見え隠れているように、私は感じられてなりませんでした。


例えば、アルコール依存症という病気をご存知ですか?日本では、比較的お酒については寛大です。お酒ぐらい飲めなくてはという風潮すらあった時代もあります。事故を起こした事例の中で、飲酒していたかどうかは表に出てきませんが、何でこんな状態になるのだろうか、正常な判断ができなかったのだろうか?と不思議に感じられることが多々ありました。       

もう、大分前になりますが、中央労働災害防止協会から出された「職場のアルコール対策110番」という本があります。その本は、「安全衛生のひろば」という雑誌の「さぁ始めよう!アルコール対策・アメリカ社会に学ぶ」と題して連載のものを纏めたのですが、その中に、「実は、本人のアルコール問題は、家族も職場も何年も前から分っていたにも関わらず、何の手も打たないまま時間が経過して」と書かれていました。


私も、そのとおりだと思っています。

メンタルヘルスの観点では、今、「うつ」ということも世の中で、大きな問題として掲げられていると思います。些細なことですが、「いつもと何か違う」という気になる状態から始まる「うつ症状」を引き起こす原因の中には、アルコールの問題(所謂アルコール性うつ)も隠れていることがあるのです。そのように、一人ひとりの色々な状況の中から醸し出される心の状態が、関与していると思うのです。


また、色々な事故の中で、「ヒューマンエラー」というものがあります。まさに人間的な失敗というのでしょうか。人は、ロボットのように感情や心がないのではない、心を持っています。ロボットのように均一ではないから、人間だから、皆違いがあります。ロボットを使うとしても、そのロボットを操作するのは人間です。ですから、人間という視点がどうしても必要になってくると思います。

企業の基本は、「人・もの・かね・そして情報」と言われますが、物を使うのも物を作り出すのも、お金を使うのも利潤を生み出すのも、情報が大事といっても、情報を得てどう活かすか、情報を収集・操作するのも、皆、人なのです。立派な理論、システム、機械・機能があっても、所詮、人間のやること、「人」に尽きると思っているのは、勿論私一人ではなく、多くの識者の方々は口を揃えて言っておられます。


では、どうしたらよいか、ソウ、そんな小さなことに「一人ひとり」が「気づく」事だと思います。

取り留めもなく広がってしまいましたが、要は、人は支え合って生きていくもの。受け容れられる、認められるときに力を出せるものではないでしょうか。 

みな、夫々に、人は、重要な存在、大事なのだということ。大事な存在であると認識・感じられたときに、努力し力を発揮することができる。それが「働く」ということ。楽しく生きられるということだと思うのです。

 

以上は、私の職業人生の中で感じてきたことを、纏めたものですが、「心の存在」ということが大事な視点だと思いませんか。

(続く)