6.2.25 …「いまここで生きる」

今日は寒の戻り寒い一日です!


人には各々主観的に感じる機能、「目・耳・鼻・舌・皮膚」という器官から感ずる「五感」というものを持っています。視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚という感覚です。

もう一つ、感じるところの「心」があります。それを、よく聞く言葉だと思うのですが、感が働くというように言われますが、「第六感」と言うのでしょうか。


その六つの感覚となる対象を認識する働きがあります。

器官そのものには何の変化・働きもありませんが、「対象となるもの」に出会ったとき、さまざまな形や働きが現れてくるようです。

時、場所、自然環境、周囲の状況、人等であれば相手や組織によって、その表情ですら変化します。


まして、見えないところの心の状態は、もっと複雑でしょう。

「心」というものは見えません。色もなければ形もありません。

でも、誰にでも、そこには「平等」にあるでしょう。

その六つの感覚となる対象を認識する働き、言い換えれば、「心の存在」というものがあるように思っております。


だから、主観的に自分がどう感ずるか、「心がその時々にどのように感じられるか」ということです。


ですから、「働くということが楽しい」ことになれればいいですネ!

 

さて、働くということについて、その文字を見てください。

「人が動く」と書きますが、

「人」という字は、互いに支えあっていることを表しています。

そして、動くという字は、重いと力です。

人が動くということは、生物的に単純に考えても「生きている」ということだと思うのです。動かなくなったら、それは「生きていない=死ぬ」ことに繋がります。

人が動くということは、生きているということ、人生そのものなのだと、私には思えるのです。


働くという字には、又「人・重い・力」の三つが合体して出来ているのです。

「重」という文字には、貴い、重要、重んじられるという意味があります。

「力」とは、自らの身体や物を動かし得る働き、気力、能力、努力等、頼りとするものとあります。人は互いに支え合い、それぞれに応じた力を持っている貴重な大事な存在だということですね。


「楽しい」と心で感ずる楽というこの字はどうでしょう。

「楽」という字には、心身が安らかで楽しいこと、易しい、好む・愛することとあり、楽しいということは満足で愉快な気分、快い、豊かであるという意味合いがあるとあります。(広辞苑より)


そういう意味での楽しさということも当たり前に得られれば、当たり前になったとき、それはもう既に楽しいことからは、離れてしまっていませんか? 


そう「なれ」です。

少し難しくいえば、「ある状態から、別の状態に変わる」ということなのでしょうか。

それは、楽でも楽しみでもなくなっていて、平凡になり、平穏と感じる。


もう一つの視点、諺に「苦あれば楽あり」「楽は苦の種、苦は楽の種」といわれますが、苦しいということ、辛いということがあるから、楽ということも楽しいということも分かる。


苦労して、工夫して、苦しさの中を乗り越えていく、新しいものを見いだしていく時に、それは楽しさになり楽になれる。成長してプラスになる。

 

働くという視点でものを考えると、働くことが楽しい、楽しんで働ける⇒ということは、労働環境がよくなっていることなのです。


では、労働環境の中の「安全」ということを一つ考えてみましょう。「安」という字は、定かではありませんけれど、家の中を女の人が護っている状態が安らかなことを表しているというような意味があると、昔聞いたことがあります。成程と思ったのです。


漢字という文字ができた頃、当時の社会体制が反映しているのでしょう。女性が家の中を守るという考え方には、現代の世の中では、多少問題があるのかも知れませんが、要するにそういう安らかな状態を指しているのだと思います。


「全」という字は人の下に王と書きます。王という文字には、欠けたところや傷や混じりけのないこと、ある物事のすべて、みんなという意味があります。

そのことから考えると、人の世の中では、「王様とは物事のすべてを護るという働き役割」と言う意味合いがありますから、それを示しているように思うのですが、いかがでしょうか。


「安全」という意味は、安らかで危険がないこと。平穏無事、物事が損傷したり、危害を受けたりする恐れのないことだとありますから、この世の中の出来事や物事が、安心で安らかで、危害がない状態のことですネ。


楽しいという意味の中にも、心身が安らかであり豊かであるという意味があり、共通した意味合いがあります。

働くことが楽しいということは、労働環境がよくなっていくこと。

今申し上げたように、安全の上にプラスに「はたらく」のですネ。


労務管理、人事管理の視点で考えても、よい職場環境、人間関係が良くなることは、「労働生産性が高くなる」ということ。企業・会社の利益へ導かれていき、会社が儲かったら、労働者、働く人達に還元していく、この視点が大事になると思うのです。


人は、認められると嬉しいもの、楽しくなる、楽になる。もっと嬉しく楽しくなりたいと願う心があります。

今、成果主義、即戦力ということをよく耳にするのですが、それも、私は人は苦労し、努力して育つものだというように観じています。

初めから、何でもできる人はいないでしょう。最初は先輩や上司を真似る、そこから自分なりに工夫して発展していく。

夫々の持ち味が出てくる。それが成長ということであり、労働現場という立場で言えば、「生産性が向上する」ということではないでしょうか。

もっと認められたいと思う心、愛社精神という言葉があっているかは分かりませんが、楽しい職場環境からは、自ずから会社を大事にする心も芽生えてくるようにおもうのですが、如何でしょうか。

観念論なのかも知れませんが・・・


養老孟司さんの講演の話の中の言葉を借りると、「里山と言うのは、近くの山が適度に手入れされ

間隔を置き、松の木などが植っていた。

社会とどういう関係があるかというと、手入れする=相手は自然、自然のルールを持っているわけだから、それに対し適当に手を入れる。都合のよいようにしていく、そういう暮らし方が基本的にあった。

根本の「自然と言う相手の立場・都合を認める」というものだと述べておりました。


そこには、「互いを認め合う、慈しみはぐくみ育てる」ということがあるようです。 (続く)