6.2.14…題名 幻冬舎「セカンドライフコンテスト」に応募作品     「ねむりたい」


その翌年の令和2年に、コロナウイルスの感染拡大から、緊急事態宣言の発令で外出自粛となり、高齢者の私には自宅での時間が沢山出来ました。


そんな時に、それから平成4年の今日まで(※応募当時)、幻冬舎から次々と執筆を促す「私が書きたいと思うテーマ」を、与えてもらえたと思うほど沢山の機会をいただきました。

私は、先の自費出版での本の上梓だけしか経験がありません。

また、資金もありませんから、次の自費出版は出来ません。

自費出版ではないので、残念ながら出版社の編集者からのアドバイスをいただけません。

それらのコンテストに無謀にもトライし続けています。

自己流であるため、小説とエッセイとの違いも分からないままに、少しずつ学びながら、愉しみながらのトライです。


締め切り期限がある応募ですので、間に合わせるために、経験も知識もない私の執筆作業は、じっくり取り組める夜迄続くことになりました。

その様な中で、他の出版社からの募集をフエイスブックで見つけました。

応募の締め切りまで一か月しかありません。間に合わせるために、やはり、じっくり出来る夜の作業となりました。

 

長年身についてしまっている「夜型」なのかなぁと、つくづく思います。

私は、その様に長年何故か夜型の生活が続いていたのかも知れません。


以上の様に書いてきた自分の生活の時間の流れは、生きる中で不思議に出来上がっているのかも知れないと感じています。

そこで、私は何故「夜型」なのかな、やはり「夜型」なのかも知れないと、そんなことは面白くもないことかも知れませんが、纏めてみたのです。

 

先に、「朝の時間の効用」について、巷では声高に語られていると書きました。

私はこれらを見た時に、まだ現役として働く世代に向けた論調ではないのかなぁ〜と思うのですが……

高齢者も当てはまるのかしら?

私も現役で仕事をしていた時は、否応なく朝早く起きていました。

昼間は仕事という負荷、適度な稼動があり夜は自然と眠ることも出来ていたように思います。

 

私は眠ることは、言い方は変かも知れませんが、得意の分野でした。

何故かと言うと、先に書いたように、元夫との約20年の生活の中で、必要に迫られてだったのですが、培われていました。

その彼との生活の緊張から離れてからも、横になると直ぐ眠れる習性は身についていたのです。


しかし、身体的な症状が、長年続いたストレスにより発症したものなのか、加齢に伴うものなのか、その両方なのか分かりません。

免疫力が落ちて調整機能が衰えている様に感じる様になりました。

疲れや冷えは、的面に反応するようになってきたのです。

尿意を催し夜中に目を覚ますことが多くなりました。

一旦起きますが、幸いなことに習性となっている様に、寝床に入ると直ぐ寝付けるのです。

それは有り難いです。冒頭に書いたように目覚めたら眠れないということはないのですから、有り難いことなのです。(続く)