6.2.7…題名 幻冬舎「セカンドライフコンテスト」に応募作品    

 「ねむりたい」


冒頭で書いた「眠れない」という視点、「眠りたい」という欲求の視点で、自分の体験を基にここから少し考えて、物語してみます。


私には、今まで「眠れない」ということは、過去に数えるほどしか記憶に無いのです。

実は、私の来し方を振り返って見たとき、「眠ることは」、生きて行く上でとても大事なことでしたから……

 

どういうこと?

それは、常勤の仕事をしながら、元夫との生活の中で、夜昼逆転した生活の中で・・・生きてきたことからの体験です。 

寝なければ「明日がない」、「子どもたちの食事の支度も出来ない」、「明日の仕事に支障が出る」と思い、どんなところでも、少しでもまどろみ寝ることにしました。 


酔って乱れた元夫から夜中に外へ出されても、階段下の窪みで夜を過ごしたことも、数え切れない程ありました。

その様な時も、階段下のコンクリートの床の上で、拾ってきた段ボールを敷いてその上に座り、壁に頭を寄せて身体を少しでも横に出来る様に工夫して、目を閉じて過ごしました。

その時に、少しでも明日の仕事に差し支えないように、子どもたちに食事だけは作ってあげたいと、恥ずかしさも忘れて、十数分でも寝ることにしました。


寝むれたことで「生気」を取り戻して、「気力」と共に蘇生してという日々、何年続いたことでしょう! 

そして、心はボロボロになっていても頑張り続けました。 


「母さん、もう我慢しなくていい。俺たちをこれ以上苦しめないでくれ!」と言わしめた母親です。その頃を思い出します。

 

私が、「眠れること」は、その中で身につけた特技とも言えるものです。その様に培われたのでした。だから、何処でも眠れるのです。横になれば即「バタンキュー!!」です。 

有り難さの裏側の出来事です。 


今、過去の体験(真実)を自己開示してみれば、「眠れることのありがたさ」、ささやかなことが、どんなに嬉しく有り難いことなのかということ。それを気づいたのでした。 続く