5.8.29…幻冬舎 「闘病記」コンテスト応募作品から 

 作品名「いのち 私と病」⑨


五、前歯の破損……昭和五十七年

事故で前歯を三本破損してしまいました。前歯がなくなると、顔の表情がとてもおばあさんになることを経験しました。


この時も、元夫の仕事の関係で知っている方を通じて紹介していただいたのですけれど、経緯は詳しくは覚えていません。


大学病院の助教授だと記憶して射ます。その処置をしていただいた治療(手術)は、その助教授が言うには、「二十五年間は保証します」と、自信を持って話してくださいました。

お名前は忘れました。

昭和五十七年と記憶していますが、それから既に四十年以上経っています。何の支障もなす、今日迄。感謝しております。


先日の区の後期高齢者の特別歯科検診でも、きちんと治療されていてとても良い歯をしていますと、褒めてくださいました。

 

六、「両下肢静脈瘤」の手術

私は子供時代には痩せていましたが、青年期から「ふくよか」と言えばきれいな言葉ですが、「太め」になっていました。

結婚して、子供を授かり二人出産しました。昔は健康な子を産むには沢山食べなさいと、言われた時代でした。お陰様で元気な大きな子をもうけました。

当然ながら妊婦のお腹です。

体重が下半身に負担が掛かります。

仕事も「正職員」として、男性と同じ様な勤務で働いていました。当時は、産前産後の六週間しか休みもありませんでした。

二人目の時には、住居も四階建の四階でした。

大きなお腹を抱えて、上の子を保育園から迎えて、保育で汚れた衣類等の荷物袋、買物したものも持って階段を上ります。

やはり下肢にかなり負担があったかも知れません。


中年になった頃から下肢の静脈に膨らみが目立ってきました。

定年に近づく頃には、蛇の様にぐにゃぐにゃ曲がりくねった血管が目立ち、時々痛みも出ていました。


丁度その頃、私の勤務地近くの病院で、次男が研修医で勤務していました。

定年の直前になって、かなり痛みがあり辛くなっていたので、次男に相談したところ、息子の勤務する病院の先生が静脈瘤の権威だから、手術した方が良い。手術して四日目から出勤出来ると言うのです。紹介するからと勧めてくれました。


年度末で、再就職に向けて準備している時でした。

中々就職先が決まりませんでしたが、その頃、ある資格試験に合格していました。

その資格が必要な職種の就職先の応募情報を得ていましたので、迷いました。

その希望先に就職できたとしても、直ぐに手術をしたいと申出ることは難しいだろうと考えました。

決心して、息子の勤務する病院で、その権威の先生の手術を受けることにしたのです。


「両下肢静脈瘤除去手術」、その先生は研修医の息子を立ち会わせてくれました。

息子の初めての手術の実験台です。親子での思い出となりました。無事手術が終わりました!


この時も、何故か不思議な回り合わせで、良い医師に出会えたのでした。