💙凡夫は志しという文字を心えて仏になり候也。②

ー「親と子の五十回忌の四つの法事を終えて」ー


その私の母は「富士山の見えるところに埋めてほしい」と言って亡くなりました🗻

その母の願いも果たせないままに、心の中に何とかさせていただきたいと願い続けました🙏

前にも話しましたが、御本尊様に手も合わせなかった弟です。 

平成十七年、母の五十回忌「子としての最後の節目、一緒に法要をしよう」と、願い続けてやっと弟に話をさせていただきました。

法要の当日、私が差し出したお数珠と日蓮大聖人様が宗旨建立されて七百五十年記念法要の時にいただいたお経本を持ち、手を合わせ、読経・唱題してくれたのです🤲

本山の納骨堂に両親のお骨をお預かりいただいておりますが、折しも、改修工事が始まりました⛏🚧

この機会に、母の願いを果たせるチャンスをいただけたのだと思いました☘️

願い祈り続け、弟に手紙を書きました📧 返事がありません。

やはり生活は楽ではない、お金の工面ができないことは知っていました。

本当に不思議に思います。この時に定年退職し、わずかながらも退職金が手元にあるのです。不思議なほどに、必要な時に必要に応じて用立てられること、護られていると思います💝

「私が全部お墓の費用は持つ。後の供養や管理はあなたに任せ頼むから、両親への恩返しをしましょう!」と、私の気持ちを伝えました💖

お墓を永代使用させたいただくためには、「日蓮正宗信徒」でなければもとめられません。

難問だった信徒になることも漸く承知してくれたのです。

祈り続けて八年の歳月です🍀

「初めて姉弟らしい話ができたね」といってくれました☺️

ここに至ることができましたのは、唱題させていただけたからだと心から観じています。

唱題させていただいている内に、何時しか色々な苦しみ、悲しさを乗り越えさせていただいて、色々な試練は、むしろ唱題させていただけたのだと、感謝の気持ちを観ずることが出来るようになっていたのでした🤲


しかし、一般的にも「有頂天になる」という言葉がある様に、「魔は天界に住む」と言われます。心の中に安堵と共に入り込んできて、己心の魔、己の怠惰な心によって勤行ができない日がその後あったのです😥


お墓の手続のために約束していた、丁度母の命日でもありましたが、五月一日に大石寺に行くことを弟と約束し、大御本尊の御開扉も受けさせていただくことを約束していたのです。

しかし、お墓開眼の読経の後、「仕事があるので、御開扉は次の機会に」と言われて、受けさせてあげられませんでした🥶

このことは、私自身への戒めでもあります。後悔です。

確かに弟の再入信はお墓の永代使用のためという機会に、たまたま出会えたことによるもので、「発心真実ならざれども」の姿なのですが・・もっともっと唱題させていただけるチャンスを、与えて下さったのだと、思っています🙏🙏🙏