💙凡夫は志しという文字を心えて仏になり候也。①


ー「親と子の五十回忌の法事を終えて」ー

人の心、常に縁によって不確かであり、凡夫である私は、煩悩に苛まされ、十四謗法を犯さない日は一日もないと思っています🪴

( 謗法とは、仏法をそしり、真理をないがしろにすること)


朝の勤行には、今日一日棘棘することなく穏やかにと。

夕勤行の時は、今日一日の謗法を懺悔し、お許しくださいと祈っています。

そして、今日一日生かせていただきました。ありがとうございましたと感謝します🤲


さて、信心する、させていただく目的は何でしょう🎊


私は、罪障消滅だと感じています。宿縁深厚にして、仏様に巡り会えたのです。

「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」の仏様の御心を少しでも観じていける自分にさせていただきたい。

少しでも、「世のため人のため、ひいては自分のため」、お役に立たせていただける自分にさせてくださいと祈りたいのです🙏


人の目はごまかすことができても、仏様の目はごまかせないのです。

仏様の目を「コワイ」と観じられる自分でありたいと思っています🌾


これらのことは、その試練の時々に何故か心に触れる、私に戴いたと思える、御住職様の御講義の一節、そして、機関誌の妙教の記事がありました🌈


その出会った妙教の記事をコピーしていました、それが今もここにあります。

この一節一節がどんなに心の支えになり、勇気づけられたことでしょう🙌🍀


思い返せば、消すこともできないようなご不敬という大謗法を犯し、二十五年間も退転(信心を捨て)しドン底に至り、初めて己の無力を知り、御本尊様におすがりする気持ちになれたのでした💖


そうです、その心になれたこと

その静かなる火種🔥は、大御本尊様にお会いすることもできなかった母でしたが、素直に純に信じて、昭和三十年、成仏した母の姿にありました🙏🍀