4.2.21…100年周期といわれる感染症」②


日本でのある記録スペイン風邪(大正710)顛末記の記録がありました。

興味深いので、お借りして転載させて頂きます。

みすほリサーチ(下記参照)

https://www.mizuho-ir.co.jp/index.html?rt_bn=ir_top_hd_logo

大正のパンデミック―スペイン風邪顛末記(PDF/2,673KB)


何故、急速に収束していったかについて述べられている。

  • 第一次世界大戦への関心の方が高かった。
  • スペイン風邪の死亡率は他の感染症に比べて高いとはいえなかった。
  • 流行は数年で収束し再燃しなかった。
  • 超有名な人物の命を奪わなかった。

日本の事情として以下を指摘している。

  • 日本の産業が軽工業から重工業に転換するこの時期、社会の諸相が大きく変動する中で、当時の人びとはスペイン風邪のインパクトを軽くしか感じなかった。
  • コレラのように致死率の高い感染症と比べて軽い病気と感じた。
  • 流行後まもない1923(大正12)年に発生した関東大震災のインパクトが大きく、その後の昭和大恐慌、満州事変、日中戦争、太平洋戦争といった後の重大なできごともあいまって、スペイン風邪は記憶の片隅に追いやられてしまった。

スペイン風邪が収束した翌年の感染症の患者数・死亡者数・死亡率(図表10→省略)をみると、スペイン風邪の患者数も死亡者も赤痢や腸チフスと比べて破格に多いが、死亡率はきわめて低い。赤痢や腸チフスはいったん感染すれば死亡リスクが高いという点で、恐ろしい感染症だったのである。


また、当時国民病といわれ恐れられていた結核と死亡者数は、ほぼ同水準である。

当時結核が恐れられたのは、発症から死亡までの期間が長いため家計へのダメージが大きかったことにある。一方、スペイン風邪では年単位で寝こむということはない。

しかも、スペイン風邪はおよそ34か月で収束したのに対して、他の感染症はそれ以前も以降もくりかえし発生した。

こうしたことから、スペイン風邪が当時の人びとの与える不安感は相対的に小さかったといえそうだ。

さらにもう一つの仮説も考えられる。当時の新聞記事の扱いや感染症の状況を考えあわせると、当時の人びとはスペイン風邪を深刻にとらえていなかったのかもしれない。

つまり、スペイン風邪は忘れられたのではなく、強く記憶されなかったということではないだろうか。と述べている。以上引用から


私が思うには、当時は、事実関係や状況などを報ずる手段が、新聞報道(必ずしも全国民が目に出来るほどではなかったのでは?)しかなかったこと。

今は、瞬時にメディアを通じて伝えられること。

良くも悪くも、国民の不安度は比較出来ないのだろう。


色々科学も西洋医学も研究が進んでいるが、「新型コロナウイルス」については、まだまだ詳しいことは分かっていない。


今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、次々にウイルスの変異を重ね世界中に広まって、収束の目処は見えていない。

一日も早い収束を祈って、これにて失礼します。