迷子センターの常連だった -2ページ目

迷子センターの常連だった

気がつけばいつも一人。一緒にいたはずの家族はいずこ?

幼児期、半年に一度は必ず迷子センターに捕獲されていたスナフキン・えいきゅーの真面目かつ不真面目なハナシ。

基本的に私は


なんらの倫理観も人間定義も


振りかざしたくは無いので


(自分の中から湧き上がってきた


自分のための思い以外には)、


感銘を受けたどんな一文にも


リンクを貼らないことにしています。




が、しかし


村上春樹氏のこのスピーチは秀逸であり


恐らくは某大国の新大統領のスピーチよりも


今現在はるかに傾聴の価値があると思いましたので


興味をもたれた方のために


下記にアドレスを付記しておきます。




http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090218/1234917019




こちらの訳文を載せていらっしゃるのは


はてなのメディア・デバッカーというブログで


私自身が毎回更新を密かに楽しみにしているという


唯一のサイトさんであります。




ここの記事を読まれていくと


「パレスチナを擁護し


シオニストを殲滅する」という


激情が胸中に生まれることもありえます。




しかし


そのときには


今一度


村上氏が世界に問いかけたスピーチの内容を


吟味していただきたいと思います。




村上氏の提唱は


ほうっておけば永遠に繰り返される


光(自分を善と認識したいエナジー)と


闇(自分を悪と認識したいエナジー)の


エネルギー的シーソーゲームに終止符を打つ


世界の可能性を内包した視点だからです。




もちろん


この主張がすべてだとは言いませんが


それでも日本を代表する作家が


このような問いかけを


全世界に向けて発信したことは


日本語文化圏に住まう者として嬉しく思うことです・・・


ぐてんぐてんになってろれつも回らない大臣を


金庫番代表にしている


おチャメな国、というだけではないんですね(笑




私も自己の意識を反省し、


自分が善い人間(光)であることを実感したいがために


正反対のエネルギーを利用することのないように


日々厳しく


チェックしていきたいと思います。




なんと、


ものすごく久しぶりの更新になってしまいました。


自分でもちょっと驚きです(笑


メールチェックをするために


毎日PCは立ち上げているのですが


ネットにアクセスしてどうの・という


意欲がまったく湧いてこないんですね。


いや さすがアナログ人間(爆




さて世の中はまさに大不況時代に突入ということで


鑑定に見えるクライアントの皆さんも


「自分の方向性を見失っています」


という方が激増している状況です。


しかし命盤を見る限り


皆さんに共通して言えることは


方向性を見失っているのは


国家(日本)であって


個人の運命ではない


ということです。


お一人お一人の命は


今この状態の中で


自身がどうすべきなのか


何を大切にし何を求めて歩けばいいのか


深いところでは了解済みでいらっしゃいます。


沈みゆく「国家」という幻想に


我が身を重ねあわせなくてもいい


わけです。


政治が個人を幸福にする・という考え、


それ自体が虚像なのですから


慌てず・騒がず


ご自身の中に息づいている


情熱に矛先をあわせて


その道に邁進されるといいと思います。




このところ立て続けに


「『待ち』の時間が長くて苦痛です」


といったお言葉を聞くことがありました。


物事が停滞している、と感じる。


何も動いていないように思う。


放っておけば誰からもアクセスされず、


かといってどこにアクセスしていいのかも解らないし


動き出す気力も無い


・・・といったご相談です。




私たちは皆 時代の流れの渦中におり


誰一人として無関係な人はいません。


このような時代によく起きるのは、


「動くことによって個体が損傷を受ける場合


無意識にその個体は停滞を選ぶ」


というパターンです。




私たち一人ひとりは


「自分の運命に関する唯一無二の専門家」


ですので、


動き出す気力が無い・という状態も


下手に動くと逆に運命が狂ってしまうから・


というふうに解釈できます。




現代日本に生きる私たちは


例外なく「成果主義」の影響を受けておりますので


物事が停滞している(ように見える)のを


非常に嫌うという側面を持っています。




しかしこの現象界(三次元)においては


真実 物質が停滞していることはありえません。


一つの視線から鑑みたときに


確かにそれは「何も動いていない」ように


見えるかもしれません。


ですが現象は常に多面的ですので、


我・という主観だけでジャッジすることは


できないのです。


一人の人間の視点からは


何も物事が起こっていないように思えても、


水面下ではいつも密かに何かが起こっています。


その全体的な流れを把握するグローバルな客観視点を


個々が持ちえていないだけ、と言えるでしょう。





主体的に何も行動していないように思えても


人間の体の細胞内では


活発な生命活動が行われています。


主体的に何も行動していないように思えても


人間の「意識」は活発に動き回っています。


たとえ一日 ソファの上で横になっていたとしても


人の「思い」が


その場に釘付けにされていることはありません。


過去へ・未来へ・近くへ・遠くへ


いろいろな時空間を駆け巡ります。


そうして駆け回って得られた「思い」が


人間の「次の一手」を決めるのです。




ですから


「無為に過ごす一日」を


忌避する必要性はないと私は思います。


「常に目に見える成果を出し続ける」


ということほど


無理やりなことはありません。


現代人はしかし


幼少時からこの要求に応えるように


育成されてきているために、


ほんのわずかな時間の立ち止まりさえも


許されないと思い込んでいます。


ですが


実際には


立ち止まる時間を奪われると


人間は
真の自我を獲得できない


のではないかと思います。


精神世界系において


自我(エゴ)というのは嫌われ者ですが、


この自我の働き無くしては


私たちは自分に与えられた運命に


向き合うことも 


満足することも できません。


人間として完成する前に


自我を捨てることは不可能です。


ですから


自我の苦しみのままに、


自我が最も良いと判断する道を


そのまま歩いていかれるのが良いと


私なぞは思います。


その自我が「やる気が出ない」のであれば


おそらくそれはご本人にとって


非常に意義のある「停滞」なのでしょう。





「待ち」の時間には


そういった「自我」の声に


改めて気がつく余裕ができます。


それは


忙しく立ち振る舞っているときには


決して気付かれないほどの


ささやかな声音です。


方向性を見失ったと思えるときには


ぜひ「自我」の言葉に耳を傾けてみてください。


「天の声」でも「偉大なる神」でも何でもない、


自分自身からの肉声


一番 自分を元気にします。


ぜひ自分のしたいことを


なさってみてください。


「世間に必要だと思われること」ではなく。




私はと言えば


最近はまた スナフキン魂に火がついてしまいました。


行き先はクロアチア。ボスニア、ヘルツエゴビナ。


直行便が無いので


またもや列車の旅になることでしょう。


国境越えの検閲も車内の環境も


ブルガリアほど苛酷でないことを期待しています(笑


が、行ってみなければどうなるか解りません。


その「どうなるか解らない感」が私の旅の醍醐味です・・・


・・・いや~


しょうもない性分ですねえー・・・(汗






本日は節分ですね。


すでに1月26日から丑の新年が始まっていますが


明日の立春からはいよいよ本格的に


本年度のテーマがスタートすると思います。





ちょうど2月5日に


天空では太陽系の惑星角度が非常に厳しくなって


根底意識を揺るがすような


さまざまなレベルでの変革をうながしてくる配置になります。


何か予想外のことが身の上に起こったら、


それは「変化」への強い後押しなのだと


考えてくださって支障ないでしょう。




さて今日の記事タイトルですが


「占いは都合のいい事だけ信じる」


これは私が日々


とても重要だと感じている占いのスタンスです。


逆を言えば


「都合の悪い占いは信じない」


ということになりますが、


実はこの発想は破軍(チュウ王)を始めとする


殷国の帝たちも利用していました。


ですから歴史的に裏打ちされた姿勢でもあるのです。




殷代の居城跡から発掘され


現在解読が進んでいる「甲骨文」によりますと、


当時の皇帝たちは


「〇月〇日に×××を行っても天の咎は無いか」


というような質問を亀の甲羅に刻み込み


それを焼いてできたひび割れによって


是非を判断していました。


そしてこの質問ですが


もし「天の咎を受ける」というような


芳しくない占い結果が出ると


また日時を改めて同じ質問を繰り返しました。


そして「咎は無い」という結果を得ることができるまで


何度でも占い直したようです。




これはすでに


「〇月〇日に×××を行う」という


人間側の意思がすでに確定しており、


それに対して天帝へ施行の許しを請う作業が


「占い」であったことの証しでもあります。


人間の帝は天の帝の忠実な下僕であったため、


許可が出るまでは


幾度でもお伺いを立てなければならなかったのです。


これより以前の時代では、


人間の帝は「巫女(シャーマン)の王」という位置づけでした。


殷代になると巫女と帝は役割が分離していきましたが


元来は帝が「神のお告げを聞く者の筆頭」だったようです。


そして


「正確に神のお告げを聞くことができなかった」帝は


その責任を取らされて斬首に処されました。


そのためにか


帝という立場を譲位されることは


個人的に決して喜ばしいことではなかったらしく、


「帝位を譲ると言われたが命からがら逃げ回って


ようやく諦めてもらえた」


というような記述さえ残っています。





これが殷の時代になると


帝は執政の長として磐石の座に就いたため、


「お告げの失敗」の責任を取るのは


一般の巫女達の「仕事」になりました。


そのようなわけで


この時代の遺跡からは


「責任を取らされた巫女」あるいは


「神の生贄として捧げられた巫女」あるいは


「呪術の一部として使用された巫女」の頭蓋骨が


胴体から分断された状態で


大量に発掘されることになったのです。




話が逸れましたが、


初期の殷では「神のお告げ」は


絶対的な確約であったので


それを器のなかに閉じ込め


現実となるまで効果を持続させる必要がありました。


以前に説明させていただいたとおり、


神のお告げは白日の下に晒され衆人の目に留まると


その呪力を失効すると考えられていたためです。


器の封印が破られて


お告げの効力が失われたとき、


その責は巫女が負って命をもって償いました。


しかし後期になると


人間側は


「幾度も伺いを立てることによって


最終的にゴーサインをもらう」


という合理的な解決策を打ち出すようになりました。


そのほうが犠牲も少なくて済むからです。


これは人間が


問答無用ともいうべき天の絶対的エナジーに


ただ支配されるのではなく、


最大限に我が身に活用しようという


発想の転換を行った
ことを顕します。


これは秘教占星術でも語られるところの


「意識の拡大」という行為に


属するのではないかと私は思います。




説明が長くなりましたが


「占いは都合のいい事だけ信じる」


というのも


こちらの「意識の拡大」に該当すると思います。


意識のちからおよび


知るという働きには


素晴らしいマン・パワーが備わっていることは


すでに記事に書いてきたとおりです。


これからもしつこい位に


書いていくかもしれません。


それほど私たちひとりひとりのなかには


絶大な能力がインプットされています。


「理想モデル」というマトリックスと


我が身を常に比較するように仕向けられているため、


人は誰もそれほど自分を偉大だとは感じていません。


しかしその「理想モデル」は


虚像に過ぎないのです。


真の能力は個々の命と肉体の中にあるのです。


「これが善いこと」「あれが悪いこと」


「これが美しいこと」「あれが醜いこと」


「これが正しいこと」「あれが間違っていること」


と、永遠にジャッジし続ける「理想論」の中にいては


個人に潜む真の力に


気がつくこともできないのではないかと私は思います。




ぜひ


自分にとって都合が良いと思われる


占いの結果だけを採用してみてください。


都合が悪い面は忘れてしまってもいいと思います。


意識のちからで


天のエナジーを


個々の人生行路に活用してみましょう。


そのとき


それまで単に


「吉」「凶」という価値観に振り分けていた「事象」の


本質的な姿に気がつくかもしれません。