占いは都合のいい事だけ信じる | 迷子センターの常連だった

迷子センターの常連だった

気がつけばいつも一人。一緒にいたはずの家族はいずこ?

幼児期、半年に一度は必ず迷子センターに捕獲されていたスナフキン・えいきゅーの真面目かつ不真面目なハナシ。

本日は節分ですね。


すでに1月26日から丑の新年が始まっていますが


明日の立春からはいよいよ本格的に


本年度のテーマがスタートすると思います。





ちょうど2月5日に


天空では太陽系の惑星角度が非常に厳しくなって


根底意識を揺るがすような


さまざまなレベルでの変革をうながしてくる配置になります。


何か予想外のことが身の上に起こったら、


それは「変化」への強い後押しなのだと


考えてくださって支障ないでしょう。




さて今日の記事タイトルですが


「占いは都合のいい事だけ信じる」


これは私が日々


とても重要だと感じている占いのスタンスです。


逆を言えば


「都合の悪い占いは信じない」


ということになりますが、


実はこの発想は破軍(チュウ王)を始めとする


殷国の帝たちも利用していました。


ですから歴史的に裏打ちされた姿勢でもあるのです。




殷代の居城跡から発掘され


現在解読が進んでいる「甲骨文」によりますと、


当時の皇帝たちは


「〇月〇日に×××を行っても天の咎は無いか」


というような質問を亀の甲羅に刻み込み


それを焼いてできたひび割れによって


是非を判断していました。


そしてこの質問ですが


もし「天の咎を受ける」というような


芳しくない占い結果が出ると


また日時を改めて同じ質問を繰り返しました。


そして「咎は無い」という結果を得ることができるまで


何度でも占い直したようです。




これはすでに


「〇月〇日に×××を行う」という


人間側の意思がすでに確定しており、


それに対して天帝へ施行の許しを請う作業が


「占い」であったことの証しでもあります。


人間の帝は天の帝の忠実な下僕であったため、


許可が出るまでは


幾度でもお伺いを立てなければならなかったのです。


これより以前の時代では、


人間の帝は「巫女(シャーマン)の王」という位置づけでした。


殷代になると巫女と帝は役割が分離していきましたが


元来は帝が「神のお告げを聞く者の筆頭」だったようです。


そして


「正確に神のお告げを聞くことができなかった」帝は


その責任を取らされて斬首に処されました。


そのためにか


帝という立場を譲位されることは


個人的に決して喜ばしいことではなかったらしく、


「帝位を譲ると言われたが命からがら逃げ回って


ようやく諦めてもらえた」


というような記述さえ残っています。





これが殷の時代になると


帝は執政の長として磐石の座に就いたため、


「お告げの失敗」の責任を取るのは


一般の巫女達の「仕事」になりました。


そのようなわけで


この時代の遺跡からは


「責任を取らされた巫女」あるいは


「神の生贄として捧げられた巫女」あるいは


「呪術の一部として使用された巫女」の頭蓋骨が


胴体から分断された状態で


大量に発掘されることになったのです。




話が逸れましたが、


初期の殷では「神のお告げ」は


絶対的な確約であったので


それを器のなかに閉じ込め


現実となるまで効果を持続させる必要がありました。


以前に説明させていただいたとおり、


神のお告げは白日の下に晒され衆人の目に留まると


その呪力を失効すると考えられていたためです。


器の封印が破られて


お告げの効力が失われたとき、


その責は巫女が負って命をもって償いました。


しかし後期になると


人間側は


「幾度も伺いを立てることによって


最終的にゴーサインをもらう」


という合理的な解決策を打ち出すようになりました。


そのほうが犠牲も少なくて済むからです。


これは人間が


問答無用ともいうべき天の絶対的エナジーに


ただ支配されるのではなく、


最大限に我が身に活用しようという


発想の転換を行った
ことを顕します。


これは秘教占星術でも語られるところの


「意識の拡大」という行為に


属するのではないかと私は思います。




説明が長くなりましたが


「占いは都合のいい事だけ信じる」


というのも


こちらの「意識の拡大」に該当すると思います。


意識のちからおよび


知るという働きには


素晴らしいマン・パワーが備わっていることは


すでに記事に書いてきたとおりです。


これからもしつこい位に


書いていくかもしれません。


それほど私たちひとりひとりのなかには


絶大な能力がインプットされています。


「理想モデル」というマトリックスと


我が身を常に比較するように仕向けられているため、


人は誰もそれほど自分を偉大だとは感じていません。


しかしその「理想モデル」は


虚像に過ぎないのです。


真の能力は個々の命と肉体の中にあるのです。


「これが善いこと」「あれが悪いこと」


「これが美しいこと」「あれが醜いこと」


「これが正しいこと」「あれが間違っていること」


と、永遠にジャッジし続ける「理想論」の中にいては


個人に潜む真の力に


気がつくこともできないのではないかと私は思います。




ぜひ


自分にとって都合が良いと思われる


占いの結果だけを採用してみてください。


都合が悪い面は忘れてしまってもいいと思います。


意識のちからで


天のエナジーを


個々の人生行路に活用してみましょう。


そのとき


それまで単に


「吉」「凶」という価値観に振り分けていた「事象」の


本質的な姿に気がつくかもしれません。