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クラクフから移動し、ワルシャワ1日目は、あいにくの雨。

 

まずは、中央駅を横切り、文化科学宮殿へ。

 

高層ビルが立ち並ぶ中央駅周辺に、一際異彩を放つ高い建物がそれだ。

ワルシャワのランドタワーらしいが、ポーランド人が嫌悪する建物でもあるとか。

何故かというと、ソ連支配時代に、スターリンがポーランドに送った共産主義の象徴となる建物だからだ。(奥に見える尖塔がそれ)

 

この建物の1階には、ツーリストインフォメーションがある。まずは、ワルシャワの地図をもらいに行くことに。

その後、近くのレストランで朝食兼昼食をとる。

安さと野菜の多さにひかれて利用したのはまたもやミルクバー。

スープ、サラダにメインコースがついている。今回は、何やら赤いジュースのような飲み物もついてきた。

これは、kompotと言われるベリーなどで作ったジュースだと思われるが、うーん、味はそれほど美味しくはなかった。

ミルクバーは現金しか受け付けないと、ガイドブックに書いていたが、ここはカードでもOKだった。

 

天気がよくないので、またもや駅に隣接したショッピングセンターをうろうろしてから、ガイドブックでもお勧め度が一番高い

「ワルシャワ蜂起博物館」を見学することにした。

 

中央駅から博物館へはバスで、10分ほど。

 

博物館では、やはりロッカーにまず荷物を預ける必要があった。

別の建物でチケットを購入。

博物館の入口でチケットを見せて入場。

 

日本語でのオーディオガイドは10ズロチで購入可能だったが、私達は購入せず。

 

あとで、そのことを少し後悔したが、色々コメント等見ると、「音声ガイドの説明が長すぎる。」というものが多かったので、借りなくてもよかったかも。

 

説明は、英語とポーランド語で書かれており、所々で上映される動画の字幕が変わるスピードがとても速くついていくのに少々困った。

 

印象に残った部分として、女性や子供など民間人も一緒になって戦った様子がよくわかった。

 

水や食物の確保。情報伝達に、彼ら民間人が活躍した。

 

飲み水の源を爆破されてしまったので、水脈を掘りあてて、飲み水を確保する。汚水を飲むと、疫病が蔓延するから、必ず沸騰させる。水は命を繋げるためにはとても重要だという説明があった。

 

情報伝達には、10代の若い男の子達が活躍した。戦況を伝えるのに、身軽な彼らが、町の中を縦横無尽に駆け回り、大切な情報を伝える様子を写真や動画で見る事ができた。

 

ナチに支配されていたポーランドで、敵対するソ連の赤軍がポーランドの国内軍に加担することで、ドイツ軍を倒すという密約により蜂起に至ったそうだが、結局そのソ連は、援軍をよこさず、すぐに敗北となり、ワルシャワの街が、徹底的に破壊されたという歴史

ソ連という国は、日本だけでなく、ポーランドも裏切ったんですね。

上矢印こちらは、下水道の原寸大の模型。ここに隠れて、戦ったそうだ。中を歩いてみたが、足元が平らでないので、とても歩きにくいし、ここには、ネズミがいたり、汚水やヘドロが溜まっていただろうし、もちろん電気もないので真っ暗だ。想像するだけでも大変な状況だったとわかる。

 

最後に、がれきと化したワルシャワ市内を俯瞰する3Dフィルムを観た。ただ、映画を見ているようで、なんだか実感がわかなかった。

 

入場料が無料になる日曜日や、ハイシーズンは、かなり混み合うらしいが、私達は天気の悪いしかも平日に行ったので、割とじっくり見る事ができたのはよかったかも。

 

教科書にもでてくる「ヤルタ会談」の有名な米英ソ首脳のスリーショット。

 

「ヤルタ会談で、ソ連が対日参戦の密約を結んだとの情報を入手しながらソ連侵攻まで情報を生かせず犠牲を増やした日本に対し、同じ敗戦国ドイツはその情報を最重要扱いとして本国や世界中の在外公館で共有し、戦局に生かそうとしていた(産経ニュースより抜粋)」とある。

第二次世界大戦が終わり、冷戦構造へと続く、歴史が動く瞬間。

 

わからない部分も沢山あったが、色々勉強になりました。