昨日は2人の仲間と
時間を変えて2回会った日で
そういった
仕事への考えを
おしゃべりの中でできる仲間と時間で
話しながら
自分の考えにも気づいていくのを
最近よく感じています。
「話してみて気づく」
まとまってから
話さなきゃいけないわけでもなく
まとまってないと会えないわけでもなく
まとまってない話が
話しながらまとまっていく。
自分が伝えたいことは
ごくごくシンプルで
決まっていたんだということに気づく。
その仲間との話の中で
たえまなくポロポロと涙が流れる時は
魂が本来を思い出した時だよね
という話をしていたんだけれど
私はこの
涙ってこんな風に出てくるものなんだ
という体験をしたのが
昨年10月末のバリ島旅行でした。
今年もまた5月に
そのバリに再訪することができることに
なったのですが
それ以来の私の変化は大きかった。
本当に会いたかったものに会えた
本当に触れたかったものに触れた
その魂が覚えていた記憶を
涙が表現してくれる。
そんな時は
特に話なんてまとまってないんだよね。
でも確かにそこには「あった」。
私も私のまわりの
仲間やクライアントさんたちも
今、その「あった」感覚を
言葉にして表現して伝えていきたいと
みんな言語化に真剣に取り組んでいる。
そして、その言語化が
なかなか進まなくて
私に伝えたいものはないんじゃないか
私に伝えることなんてできないんじゃないか
と、苦しんだり悶絶したりもする。
それはそれだけ
伝えたいものがそこにあるからだよね。
まだ大きな風船のような感覚だから
伝えきれない気がするだけで
伝えたいものはちゃんと「ある」。
それに真剣に取り組んでいる
私もみんなも素敵だなあと思う。
それは自分を表現したい
という自分への愛でもあって
人の役に立ちたい、という愛の
あらわれだから。