7月2日の日曜日が月曜日に切り替わった深夜、いわゆる丑三つ時に差しかかったころ、ようやく仕事に区切りができておねんねをしようと目論んでいたその時、PCに何やら「解除する」みたいな小さなメッセージが出た。ボォーッとしていた私は、半ば無意識でクリックをし、仕上げにメールで仕事の成果を送付しようとしてメーラーを立ち上げた……!
 ゲゲッ!
 メーラーは立ち上がったが、アカウントが新規一つしか表示されない。
「おい、違うだろー。それじゃなくて、さっきまで使っていたアカウント。十個以上あったでしょ。それを表示してくれないと困るのよ、私……」
「ど、ど、どこにいっちゃったんだよ、私の大事なアカウントは?」

 私はかれこれ二十年以上にわたって、ウインドウズで、Edmaxというマイナーなメーラーを使っている。アカウントがいくつでも同時に管理できるし、基本テキストしか表示しないから、見てくれは悪いがいわゆるウイルス感染にしにくい、軽くて安全なメーラーだったが、何年か前からサポートが終わってしまった、いわゆるガラパゴス的メーラーではあった。ウインドウズも11になったが、それでも情報の伝達という役割では十二分に使える現役である。
 メーラーの仕組みというのは良く知らないのだが、古いメールをごっそりと削除をしたとしても、なぜだか復活できたりする。ずらりと時系列で繋がった長い長い糸のようなもので、カットしたつもりが見えなくなっているだけで、ちょん切れてはいない気持ちの悪さはある。ハードディスクを何回も上書いても、下の層に情報が押しやられて消えずに存在していることと同じだろうか?
 何やら人間のカルマの糸を感じさせる問題である。人間が時間軸のなかでやらかしたことは、善いも悪いもなく時空のエーテルに波状となって途切れなく存在している。この肉体が滅んだとしても、魂はそのエーテルの糸のごとくに刻まれたカルマを引きずって、終焉のないメタ宇宙を彷徨い、輪廻していく……おおっ、こわ~~~い。
 
 メーラーから消えた情報に右往左往した私のおねんねの時間は、なくなった。すでに丑三つ時が過ぎたが、いったいどこにアカウント情報があるのか、PCのハードディスクを調べまくった。やっと、それらしきが見つかった。が、これを、どうやって復活させるかが、超難問――。

 


 ウェブで調べまくったが、確実な方法は一つ。ぶっ壊れたメーラーを新規に再インストルーし、アカウントがあるディレクトリーに紐づけて、アカウントを一つずつ、再設定していくしかない。
 メーラー設定は面倒だ。アカウント、メールアドレス、SMTP、POP……そして暗証番号。私がつかっていたアカウントは、十六もあった。実際に使用しているのは、十個くらいなのだが、これを、ハードディスクにあるアカウントの順番で、順にアカウントを設定していけば、アカウントがリンクして復活できることがわかった。
 一度設定してみて、受信テストをするが、すんなりとは動いてくれない。中かが違っている。アカウントのスペルが一カ所でも違っていれば、エラーが出続ける。暗証番号は、二十年も使っていると、いろいろと変えている。どれが正しいのか、それを探すのが、ものすごく時間がかかった。陽が暮れてしまう……あ、いやいや、陽はとっくの昔に暮れていて、窓の外がじんわりと白みかけてきたではないか。ぶっこわれてから、数時間、やっとアカウント復活の兆しが見えてきたころには、蒸し暑い朝になって、家族が出てきた。
「何しているの?」
 
 そうだよ,私は何をしているんだろう。聞かれても答えようがない。
 メーラーがぶっ壊れると、大事な仕事がほとんどできなくなってしまう。二十年以上も使ってきたメーラーには、仕事の貴重な情報が、たっぷりと刻み込まれている。メーラーが壊れたら、その大事な情報がそこにあることは分かっていても、一切見ることができなくなるのだ。仕事でこんな残酷な想いをしたのは、ほんとうに久しぶりだった。そう今言えるのは、徹夜明けの翌日3日の午後になって、ようやく、ほぼほぼ全面的に復活できたからである。
 PCを使っていると、ストレージはいつかは壊れるので、最近は自動的に重要データを日々に複写保管するシステムを導入した。そのデータに,今回ぶっ壊れたメーラーの情報も入っている。が、情報はあっても、それを見て、確認して、利用するには、メーラーが正しく機能してくれないとダメだ。私が使っているメーラーだけでなく、有名なメーラーも、互換性はないではないが、微妙だ。ワードやエクセル、グーグルドキュメントやシートのような融通性はない。
 
 今回のメール事故で、初めて仕事でどれほどメールに依存しているかを実体験した。ほんとうにヤバイと思ったので、おねんねもすることなく、ぶっ壊れたメールの復活を徹夜でやりとげたことになる。
 死に物狂いとは、まさにこのこと。

 



 そういうと、先般、三重の竜ヶ岳に遠足尾根から登り、中道で下山して四つ目くらいの砂防堰堤に行く手を阻まれ、あわや遭難かと覚悟を決めたことを思い出す。深い沢の渡渉路を何度となく行ったり来たり、かならずどこかに下山路があるはずだと急斜面の山肌を探し回った。スマホは電波がない圏外。まだ麓まで数キロもある。だれもこのマイナーな中道を下山して来ない。時は十五時を回っていた。竜ヶ岳の中腹の沢に独り取り残された老人の運命……、翌朝、ココヘリのヘリが上空をバタバタと飛んでいた。という妄想をしつつ、私は死に物狂いで、下山路を捜し回ること2時間弱……。鬱蒼と木々が覆い隠していた堰堤の左端に、下山用の鉄パイプハシゴの頭が一本だけみつかった。

 

 

 遭難しなくてよかった。この時は、本当に遭難を覚悟したのである。いま生きているから、笑って言えるが、死にかけているような年齢になっているのに、徹夜をしたり、遭難を覚悟したり、いったい私は、何をしているのだろう。