瀬織津姫は、記紀に登場せず、大祓詞にだけ登場する謎の神である。そのためか、全国にこの比売神を祀る神社は珍しい。にも関わらず、瀬織津姫を探求する人々の関心は大きい。それは、大きな力のある神だと信じられているからだろう。


 瀬織津姫神が祀られた神社が多いのは、岩手県の早池峰山周辺にある、早池峰神社である。山頂にある奥宮から、瀬織津姫神のエネルギーが溢れ出ていると考える。山の東南西北の麓には、このエネルギーを受け継ぐ早池峰神社がある。
 その西側に位置する早池峰神社は、西北向きの長い長い参道が一直線に登っていて、社殿近くには、昭和51(1976)年に国の重要無形民俗文化財に指定され、さらに平成21(2009)年にユネスコの無形文化遺産に登録された、古い伝統の神楽の場があり、さらに社殿に近づくと、樹齢を重ねた巨木が10本ほど高く聳え、それを見あげて拝する社殿の偉容に圧倒される(写真下)。

 


 瀬織津姫比売のエネルギーは、ここで一度蓄積され、西南方向に放流される。その流れのラインには、胎内山神社など複数のパワースポットで中継され、日本列島の山脈を西南へと流れている。
 早池峰山鬼門ラインは、瀬織津姫神エーテルエネルギーが渦巻きながら西南方向に流れる。終点は、六甲比売大善神社(ただしこれは私の妄想的牽強付会)。

 

※次は、金沢の瀬織津姫神社


 
 その手前の大きなパワースポットが、金沢市別所町ヲ83番地にある、瀬織津姫神社である。御祭神は、大禍津日神。伊耶那岐神の禊において、中の瀬で濯いだ時に成った神である。因みに同時に八十禍津日神も現れている。黄泉国の穢れから生れた神で、「禍(まが)」は「曲がる」ことに通じ、「直(なほ)」に対する語と國學院大学のサイトに解説されている。大禍津日神は、善くないことを表すが、「直毘神は善事を奨揚し、禍津日神は悪事を咎める働き」とする國學院大学サイトの解説がしっくりとくる。
 禍津日神が担う悪事を咎める働きによる悪心、罪穢れを祓い清めるのが、瀬織津姫神である。金沢の瀬織津姫神社は、瀬織津姫神の大いなる働きを、大禍津日神を祀ることで浮き彫りにしていると考える。

 

 

 知人と二人で参拝した2025年11月10日早朝、雨が降っていたが、社殿の前廊下の上で、奇妙なことが二つ起こった。
 一つは、私はわずかばかりの賽銭を準備して入れようとした。恥ずかしながらの少額コインである。すると、財布からポロリと大きい銀色のコインが前廊下に落ち、それがクルリと左に回って廊下の左の柱を向こう側に落ちるすれすれで私の目の前にころがってきた。
「少額を入れるんじゃない。500円以上を入れなさい」
 そう神に言われたと思った。
 それでわかった。そのとき、神がお出ましになっていることを。
 もう一つ、それは社殿前廊下の中程に何やら黒い小さな生き物がいたことだ。

 


 知人は、そこに蝉のようなものが動いていると言った。
 11月に蝉がいるはずがない。いても生きているはずはない。私には蝉の死骸に見えた。
 近くに寄ってみたら、それは蛾だった。知人は倒れても動いているという。写真に撮って、知人と短く会話を交わしてまた見ると、蛾がいた祭壇の板のところには、何やら蛾の羽の汚れが印のようにあるだけで、蛾が消えた。1メートルほどの近距離にいたので、飛び去ったのならその気配を察知できる。が、私も知人も、蛾が飛び去ったところを見ていない。私たちが目を離した数秒のうちに、消えたとしか考えられない。

 


 そこで考えた。
 なぜ「蛾」が現れたのか? 11月の寒い雨が降る朝である。
 AIの説明によると、蛾は、変容、精神的な成長、知識の探求、再生などを象徴し、光や本能に惹かれる性質から、手の届かないものを追い求める象徴ともなり、儚い美しさや死、さらには「嫉妬」「好奇心」「誤解」などを象徴する――とある。
 蛾は、印象としては気持ちがよくない。神社で蛾が出るのは、禍事の象徴を見た気がした。が、御祭神が大禍津日神であるからこそ、蛾が出てきたと考えた。そしてそれには、「変容、精神的な成長、知識の探求……」などなど、善きことへの象徴でもある。
 こんな日に、生きた蛾を見れたということは、大きな幸運の印と考えよう。

 

https://x.com/eikobo115115/status/1991132951468188041


 なお、大祓祝詞には、以下の四柱の神々が祓戸の神として登場する。

 瀬織津比咩(せおりつひめ)
 速開都比咩(はやあきつひめ)
 気吹戸主(いぶきどぬし)
 速佐須良比咩(はやさすらひめ)

 瀬織津姫(比咩)は、川や海の流れを通じて穢れを洗い流し、浄化する力を持つとされる。
 
 金沢の瀬織津姫神社の入口の鳥居は鬼門向きであった。
 鳥居から山の斜面を左巻きに造られた階段を登る。社殿正面下から階段を上がると、立派な入母屋の社殿がある。その方向は西北に向いていた。これは、早池峰神社と同じである。
 左右の獅子の石像は勇猛。社殿の右手を行くと、社殿の奥殿が見える。屋根の千木から女神であることが分かった。その雰囲気は、伊勢神宮のような風格があった。

 因みに、六甲比命大善神社に2024年11月に登山を兼ねて詣でた、私のヤマレコブログから、神社参拝の部分を引用する。
 
♠播磨の地 法道仙人 インド人?
 
 ところで「法道仙人」とは何者? 恥ずかしながら、知りませんでした。戻って調べました。ウィキペディアなどのウェブから、引用してまとめてみます。

 法道(ほうどう)は、インドの仙人。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれるそうです。法道仙人は、播磨各地に伝説として伝えられているようで、6世紀半ばに、天竺(インド)の霊鷲山から渡来したというのです。伝説では、方術を駆使し、特に「飛鉢の法」を行ったと言われ、播磨一帯の山岳寺院を開創した人物にみなされているようです。十一面観音信仰を広めたり、陰陽道の術もわきまえていたとされます。この当時の仙人というと、役行者が有名です。法道仙人も、インドから歩いたり船に乗って渡来したのではないということです。UFOにでも乗って、当時の播磨国にやってきたのでしょう。役行者のように、超人だったようです。

 仙人といわれるくらいですから、普通の肉体をもった存在ではないわけです。超人というのは、人を超えた存在なので、意識体の乗り物としての肉体を、出したり消したり移動させるようなことをして、いわゆる人間を驚かせます。役行者もそんな伝説を残しています。空海も、そんな奇跡をたくさん行ったとされます。インドやミャンマー、ヒマラヤには、そんな超人がウジャウジャいるとされます。ババジも、サイババも、マイトレーヤやモリヤ覚者、ヨガナンダ……などなどが知られています。それぞれ、進化の段階が違いますが、われわれ人間からすると、超人というしかありません。

 法道仙人の伝承(6世紀)が、比売神社を中心に、刻まれています。心経岩~比売神社磐座~雲ヶ岩(法道仙人が紫の雲に乗って毘沙門天が降臨した場)~仰臥岩(ここには、仏眼上人、熊野権現、花山法皇と八大龍王神が祀られています)は、六甲山の尾根の突き出た突端の岩場にあります。

♠六甲の 磐座伝承 縄文から

 この六甲山の絶壁にある磐座の伝承は、法道仙人の時代より一層古い、縄文時代からの、人間の手によって積み上げられた形跡があるという報告がありました。引用します。

「六甲比命神社の磐座は天然に出来たものではなく縄文時代のころ、縄文人たちの手によって巨石を積み上げて出来た人工の磐座である。一説によれば縄文中期(BC5,000年頃)に出来たのではないかと言われている」
(https://www.megalithmury.com/2019/08/rokkouhime.html#toc_headline)

 今、六甲比売大善神社には、本体の磐座の前に、拝殿としての小さな社が建てられています。これは明治期以降に建てられたものでしょう。古くは、本体の磐座が見えたはずです。いまは、社と東?に迫る崖の細い通路を潜り、社の裏側にまわります。本殿としての磐座は、縦に抉られた深い窪みになっていました。暗闇には、小さな社と蝋燭や線香があり、参拝者が自由に手向けることができるよう準備されていて、ライターまでがありました。
 ここで唱えるのは、祓詞です。祓戸大神、瀬織津姫を意識します。

 



 祝詞を唱えていたら、何事か、とてもいい香りが漂ってきました。ここに比売神の閃きが潜んでいます。この窪みの磐座を、社で隠すのは必要なことと理解できました。なぜなら、このような岩が縦に割れて窪みには、ヒメ神の象徴となるからです。このような場所に、大日如来が祀られている場合もあります。縦の割れ目は、自然でも秘所です。奥ゆかしく、隠すのは、神の世界でも同じです。

♠雲ヶ岩 巨岩タマゴが 真っ二つ

 比売神社から、さらに上の向かう道が続いていました。少し上ると右側に「雲ヶ岩」がありました。一目瞭然です。幅2m超えのタマゴのような楕円のきれいな岩が、真ん中で真っ二つに割れていました。ここは法道仙人が修行をしていて、毘沙門天が降臨したという岩でした。私は、自然ではありえないような楕円の岩や、真っ二つの割れ方を奇異に感じながら、ひょっとしたらこれは、比売と関係しているのではないかと想像しました。というのは、このタマゴの形が二つに分かれている様は、タマが二つの袋に見えたのです。これは男性原理の象徴ではないかと、妄想を膨らませました(そんな説は聞いていませんが)。

 



♠仰臥岩 熊野権現 そそり立つ

 雲ヶ岩からさらに少し登ると、長さ数メートルはありそうな、自然ではない巨岩、仰臥岩がありました。仰臥岩と言われているものです。表からは見えませんが、岩に近寄っていくと、もう一つ巨岩が横たわっており、その裏側は崖で落ち込んでいます。ここは、比売神社の真上あたりになり、尾根の先端が盛り上がった、頂上のような位置になります。裏側の巨岩には、熊野権現が刻まれた岩の碑や八大龍王の祠が祀られていました。縄文人がはるか昔、ここに巨岩を積み上げて、直下の比売の窪みの磐座を護るかのような構造に見えました。これらの巨岩の造形は、明らかに、六甲山尾根の突端に突き出たシンボルとしての陽物です。

 



♠最深部 陽物と玉 比売隠れ(妄想)

 つまりこの六甲山の最深部の聖域は、突端尾根巨岩、仰臥岩という陽物と雲ヶ岩の二つに割れたタマ袋、そして陰部としての比売神宿す窪みの磐座が祀られた、生命の根源を祀り、人間の繁栄を願ったものではないかという妄想が湧き出ました。
 先のホームページに、こんな記述があります。引用します。

「法道仙人が六甲山吉祥院多聞寺を創建した際、六甲比命神社境内の雲ヶ岩に毘沙門天(多聞天)が降臨したことから、多聞寺の奥の院となった。毘沙門天と吉祥天は仏教本尊の中では珍しく、夫婦の関係である」

 私の妄想も、あながち外れているわけではないのですよ。