2023年10月20日から、上野の森美術館で開催されている「モネ」展は、2024年1月28日まで。残り2週間しかない。ウッブで予約を推奨されているが、当日空いているのは月曜日の朝と予測して、15日(月)に訪れた。

 


 快晴の上野恩賜公園に煌めく朝の太陽の影に、「モネ」のおおきな文字が張りついていた。9時10分くらいだろうか? 当日券売り場は空いていてた(2800円)。入場すると、音声ガイドブログラムをすすめられたので、お願いした(600円?)。ヘッドフォンと小さなコントローラーを首に吊るして、睡蓮の水面を映像で床に映し出したエントランスを戸惑いながら歩きだす。
 
 このモネ展は、5つの章で構成されていた。
 1章、印象派以前のモネ
 2章、印象派画家、モネ
 3章、テーマへの集中
 4章連作の画家
 5章「睡蓮」とジヴェルニーの庭

 


Claude_Monet_1899_By_Nadar_Public_domain, httpscommons.wikimedia.orgwindex.phpcurid=788412

 

 場内はそこそこ混み合っていたが、ルートにそって、ひとつ一つを近くに、遠巻きに、十分に観ることはできた。壁には音声ガイダンスの番号が1からついている。それを入力すると、絵の解説を中心に見どころをやわらかく教えてくれる。気持ちのよいナレーターの声と、ときどきは効果音もある。そしてしつこくない。
 すべての作品を、ほどよい時間をつかって鑑賞できた。今回展示されているのは、75点である。

 場内には、写真撮影禁止のマークがあったので、当然だろうなと思ったが、3章のフロアのところで、スマホで展示画を撮影する人がいた。「禁止なのに……?」と訝しんでいると、撮影をしている人が他にもいた。3人、4人と撮影している人がいたので、そこだけは撮影してもよいところかと自分で勝手に考えたが、係員に聞いてみると、3~5章のフロア作品のほとんどは撮影がOKだった。ただし、とくに最後の作品(薔薇の中の家)だが、それには絵の左右に、撮影禁止マークがあった。
 
 クロード・モネ(Claude Monet:1840~1926)の作品は、パブリック・ドメインのはずである。それを写真で複製しても、著作権違反にはならないので、撮影が禁止されてはいないのは、当然とはいえ、美術館で禁止していなかったことは、とてもいいことだと思った。

 因みに膨大なモネの作品は、ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%8D)で複製写真でほとんどを見ることができる。

 モネの作品は、印象派前であっても、やわらかな線と色彩の個性があると思った。暗く重く輪郭が明確な作品はほとんどなかった。人物を描いたものも多くはない。ほとんどが、町と自然に降り注ぐ光や風の風景である。日本で言えば、伊豆半島や房総半島を彷彿とさせる風光には、親しみがあった。が、コントラストが薄い印象派的作風は異様だ。ぼんやりとしているというよりも、眩しい印象が強い。
 この展示で最後のところの1918年のジヴェルニーの『睡蓮の池』は、131×197㎝ももっともおおきなキャンバス作品だったと思うが、全体が黄色から橙色の色彩で満ちあふれていて、その眩さに目が痛くなるほどであった。

 


 モネが晩年になるほどに、輪郭が曖昧で色が飛んでいる作品があることには、白内障の影響があると言われる。72歳で白内障と診断されたモネの目は、水晶体が濁ったために、ものごとは黄色く見え、眩しく感じる症状がだんだんと強くなったようである。しかし、手術を拒み続けた結果、82歳では右目がほとんどみえない状態になってしまったという。

 「眼科の豆知識~画家モネと白内障~」https://bunko-eye.jp/column/%E7%9C%BC%E7%A7%91%E3%81%AE%E8%B1%86%E7%9F%A5%E8%AD%98%EF%BD%9E%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%83%A2%E3%83%8D%E3%81%A8%E7%99%BD%E5%86%85%E9%9A%9C%EF%BD%9Eによると、ついに、フランスの首相クレマンソーのすすめで、モネは右目の白内障の手術を受けることになったとある。さらに術後、モネは「左の白内障眼で見ると、すべてが黄色に見えるのに、手術した右目で見ると、すべてが青っぽく見える」と言ったとされる。この片方ずつの異なった見え方を描いたのが、パリのマルモッタン美術館にある『バラ園からみた家』(1923年)だという。

 

 モネの絵を見ていると、聞こえてくる音楽は、ドビッシーかもしれない。フォーレの室内楽もぴったりな感じがする。ラヴェルではない。モネの絵を印刷物にすると、微妙な眩さの変化がわかりにくいかもしれない。それほどコントラストが薄い作品が多かった。見終えてふと気づくのは、悲しみや歓びという感情に響くものはなかった。強いコントラストによるインパクトもなかった。その代わり、やわらかなふわりと寛ぐ平穏な気分が薄く水平に広がっていた。そこには怒りや苦しみのようなものもない。かと言って、神々しい感動もない。そこにあるのは、日常の影を覆い尽くす光の戯れの清々しさであった。そこに親しみを感じたのは、この光の戯れは、自分の生活空間の至るところでもあるものだからだと思う。