富士山に登ったことを思い出した、吾野緒濫人(わがのおらんど)はふと考えた。
 二度目の登山は須走口からだった。天気予報は雨、連れの女性が二人いたが、雨具は持っていたので、登山口まで来て止める理由はみつからない。が、森林限界を越えた六号目あたりから雨風が強まった。
 吾野緒濫人が持ってきた雨具は登山用ではなく、スキーで被るヤッケの類で、富士の粗い岩のゴロゴロを横走りしてくる風雨が強くなると、雨具は何の役にも立たず、すでに全身に雨が染み渡り、寒さに震えがきて「これはヤバイ」という自然の猛威の洗礼に、山を軽く見た己の考えを恥じた。
 七号目の山小屋に駆け込んで、予約なく泊めてもらうことにした。石油ストーブがありがたかった。全身濡れまくった衣服や靴を、吾野緒濫人は自分のものだけでなく、連れの分も含め、ストーブの上に一つずつかざして暖めて渇かす。一つ終わってはまた渇かす……を辛抱強くつづけ、翌日の登山に備えた。そうして数時間、ストーブの前で準備を整えた。この山小屋に避難できなかったら、死んでいてもおかしくない。富士山という山、昔の人なら、地元の人でも登ることはなかったろう。
 山の神が怒り狂ったら、噴火した火山の岩ゴロやザレが急斜面にむき出しのところには、人の逃げ隠れできるところはない。吹きっ晒しに体温と命の脈動を山神に捧げるしかない。
 まだ、いまのように登山を始めていなかった吾野緒濫人は、ふとそんな、富士山の恐ろしい自然の脅威に身震いした。
 翌朝、幸いにも天気も持ち直し、私たちは頂上を目指した。すでに標高は3000mほどに達している。吾野緒濫人の最初の登山の教訓は、高山による酸欠にどう対処するかだった。とにかく呼吸を強く深くこころがけた。少しでも酸素を体に供給するためには、たくさん吐いて、たくさん吸い込む。その甲斐あってか、最初の登山のときのような頭痛の症状は防げたと思った。が、連れはそういうわけにはいかなかった。
 八号目となると、標高は3200mくらいになる。高山病的症状はこのあたりから顕れ始める。連れの一人の体調がやばそうになってきた。
 しかし、よたよたとしながらも、なんとか登頂した。
 下山では体調を崩した連れのリュックを前掛けし、なんとか砂礫の下山道を恐る恐るくだり、長い樹海をぬけたころには日が暮れ始めていた。登山では、自分の命を運ぶだけで精一杯なことを改めて知った。わずかにできたことは、人のリュックを背負ってやるのが限界であった。
 人は、人を救えない。吾野緒濫人が心に刻んだ、富士山が教えてくれた人生の鉄則である。

 富士山のエピソードを思い返しているうちに、別なことを思い寄った。
 酸素が薄い富士山の頂上では、水を沸かしたら100℃にならないと聞いている。
「山頂でカップヌードルを食べようと水を沸かしたら、何度になるんだろう?」
 標高が3776mの富士山の頂上は、空気が地上の三分の二くらいの630hPa(hPaはヘクトパスカル:hectopascal、国際単位系の圧力単位で、地上の1気圧は1013hPa)。富士山頂上の水の沸点は約87℃だそうだ。何とかカップヌードルは喰えそう。因みに標高500mでは約95℃、標高8848mのエベレストでは約70℃なんだそうだ。エベレストの頂上でカップヌードルを喰うやつはいまいが、こんなぬるいお湯ではおいしく喰えないかも……。

 圧力釜という調理器具がある。三分の一、四分の一という短時間で調理ができると言われている。密閉性の高い容器で加熱をして圧力を上げ、約120℃ほどの高温で調理をするという。120℃ほどの沸点を得るには、とれくらいの圧力が必要か?
 大気圧のほぼ2倍、2気圧程度らしい。圧力鍋は必要以上に圧力があがらないように、減圧弁がついている。もし、減圧が上手くいかないとしたら、圧力がどんどん上がって、爆発してしまうかもしれない。
 怖い、恐い、こわい――。

 吾野緒濫人は気になった。
 丈夫な容器に水を入れて完全に密閉し、どんどん加熱をしていったら、どんなことが起こるんだろう?
 水を封入した状態の内部の気圧は、1気圧(1013hPa)である。これを加熱していくと、やがて沸点の100℃に達して水蒸気が生れ膨張する。当然のように、調理器具の圧力鍋と同様に2気圧になったら中の水は120℃になるだろう。さらに危険を省みず、どんどん加熱をしていったとする。
 沸点が上昇しつつ蒸発をした水蒸気はどんどん膨張して内部の圧力を増大させる。こうして500℃、1000℃という超高温水は、いったいどんな性質を持つのだろうか?
 調べて調べても、500℃とか1000℃という水の情報がない。
「これはどういうことなんだ?」
 吾野緒濫人の探究心は行き詰まってイライラした。
「どうして情報がないんだろう? ひょっとして、この世に,この宇宙に存在しないからなのか?」

 ふと、不思議な記述に目が訝しんだ。

 ――374℃

 水は環境條件によって、固定、液体、気体になる。地球上には、北極や南極などの極寒の地域に固体として大量に存在している。海には液体として膨大に存在している。もちろん大気中にも水蒸気として無限大に存在している。さらに宇宙空間にも微細な水滴か水蒸気かで漂い、情報を伝える媒体として存在していると言われている。

 地上には大気が上空に数十キロにわたり覆い被さっているために、地上では大気の強い圧力がかかっているために、水は0℃で液化し、100℃を超えると気化する。富士山の頂上のような大気が薄いところでは、水は87℃で気化してしまう。
 100℃以上の液化した水は、調理用の2気圧ほどの圧力釜の中で存在する。
 ならば、頑丈な密閉された容器の中に水を入れて加熱すれば、500℃、1000℃の水が得られると論理的には考え得る。が、そういう情報はない。
 出てきたのは、「374℃」だった。
 これが、水が液体で存在できる限界の温度だったのだ。
 これには圧力という絶対條件がある。
 ――22.06MPa(メガパスカル、地上の大気圧0.10Mpaの220倍)
 水は、22.06MPaという超高圧状態で374℃まで水蒸気を生みながら上昇する。
 ところが、この限界を超えると、一瞬にして状態が変わるという。気体と液体に分離していた水は、突然のように一体化した奇妙な状態になるという。これを、「超臨界流体」というそうだ。

 


 「超臨界流体」は、液体でも気体でもない。両方の性質を帯びつつ、しかも分子が超高速で動きまわる、まさに流体状のプラズマと言えそうだ。
 超臨界状態は、水だけではなくさまざまな物質で起こるとされる。水の超臨界状態の話がほとんどないのは、臨界圧力や臨界温度が極めて高いからのようだ。臨界圧力と温度が低いものは、すでに実用化されているものがあった。二酸化炭素である。二酸化炭素は臨界温度31.1℃、臨界圧力7.38MPaでいくつか話題がある。
 
 吾野緒濫人は水にビビビッと来た。それは海である。
 福島の原発事故で冷却水の海洋投棄が紛争を招いている。世界中の原発の冷却水が、海や川に放出されたままであるのに、福島の冷却水が批判を浴びている理由は科学的な根拠ではなく、政治的な理由と思われるが、海には驚くべき天然の水質浄化作用があるのではないかと推測している。
「その根拠を延べよ」
 十年以上前のこと、巨大地震と巨大津波で制御不能となった福島原発の後の冷却水が溜まり続けていたが、これを海洋投棄すると、海が汚染されないかどうかを、とある聖者に聞いたことがある。
 聖者は答えた。
「投棄された水は、日本海溝の底に取り込まれる。深海の水圧を考えてみよ」
 
 吾野緒濫人は、ハッとした。深海の水圧のすごさは知らないわけではない。ジャックマイヨールは、素潜りで水深100mを達成したという。水深100mというと、地上の気圧の10倍ほどとなる。酸素ボンベをつけても、危険な水深である。海女さんでもせいぜい数メートルである。
 ところが、福島沖の巨大地震の発生源とされる太平洋岸の日本海溝の水深は、7500mから8000mである。地上の気圧の700倍、800倍となる。それがどれほどの圧力か、想像すらできない。水の分子構造が、これほどの圧力で変成していないとも限らない。日本海溝は、幅約100kmもありそれ、それが南に800キロも続いているという。
 この深い海溝は、地球のマグマに近い。そしてこの深い海溝の深層水には流れがある。緩く世界中の七つの海を循環しているという。
 この緩い深海には、海底火山の噴火口があるはずである。超高温の熱水が吹き出しているチムニーというものがあることも知られている。このチムニーから吹き出している熱水には、さまざまな金属成分が溶け込んでいて、資源の宝庫ともいわれている。ウェブでは、チムニーから吹き出される熱水について「200~400℃という地上では考えられない温度の水が存在する」とあった。
 吾野緒濫人は、この記述を見て、「はぁ?」となった。
 この解説はおかしくないか? 200~400℃という温度の熱水という解説は、科学的ではない。なぜなら、熱水の最高温度は、374℃だからだ。測定で400℃の熱水があるとしたら、それは熱水ではない。超臨界流体である。
 超臨界流体の臨界圧力は、220気圧以上である。水深2200mを超えたところに、火山帯やチムニーがあったなら、マグマの高熱に暖められた海水は、水圧のために蒸発することはない。375℃より熱ければ、超臨界流体となるはずだ。
 水深が浅いところの火山帯では、海上に盛大な水蒸気が立ち上がるかもしれないが、深海では水圧が火山噴火の勢いすら押さえ込むとされる。しかも、その熱と水圧から起こる超臨界流体は、ほぼほぼ水分子はプラズマ的状態となる。プラズマだとしたら、それはどんな物質をも分解してしまうはずだ。水が放射能で汚染されているとしても、超臨界流体になった途端に、原子も分子もバラバラに崩壊するので、すべての物質がリセットされるのではないだろうか?
 冷やされて水になったとき、リセットされた純粋な水が生れる。世界中に流れる海洋深層水がピュアな状態で採取されているのは、深海で起こっている超臨界流体化を繰り返し都度リセットされている海水の流れにある――そう確信して吾野緒濫人は、神道の有名な祝詞の秘密を垣間見た。が、そのことは、別な機会に述べよう。
 それはさておき、残念ながら、こんな海底深海の超臨界流体の可能性を記述したものは、どこにもない。科学者は、せせら笑って相手にしないだろう。が、いまに見ておれ、これが、世界中の深海で起こっている深層水浄化の仕組みの秘密であることが明らかになる日は近い――吾野緒濫人の妄想炸裂。

 さて、以下は蛇足となる。

 最近、海抜0mから富士山頂の標高3776mを目指す登山ルートがあることを知った。全長約42㎞もあると富士市の解説にある。まさにフルマラソンの距離である。妄想老人の吾野緒濫人には到底無理である。
 そんな苛酷な富士登山ルートを走破した登山女子がいた。その一部始終がYouTubeで公開されている。

 【日本百名山完登】ラストは富士山!海抜ゼロから0合目の浅間神社まで富士山縦走(https://www.youtube.com/watch?v=wlvH7Y_-ETU)by:あどちゃんねる

 コロナ過の少し前から、YouTubeで話題となった登山女子の代表は、かほちゃんだが、破天荒のMARiA麻莉亜は最近単独でモンブランを縦走(これは見物だ)。かわいらしいあどちゃんは、百名山達成の最後に、海抜ゼロからの富士登山の登頂記録をアップした。他にアリョーナという日本の山にほれ込んだロシア人女子の動画記録もすごい。恐るべき登山係女子は、すべてが若々しく可愛く美しい。