手術前、私の視力は0.01くらいの超度近眼だった。両目とも。
 左右の目の見え方に違和感を覚えたのは、たぶん数年以上も前からだった。コロナが流行る3年くらい前だったと思う。ウェブで緑内障とはどういう症状か調べたが、それは視野に大きな死角で抉られるように見えなくなる症状で、自分とは違っていた。で、勝手に白内障だろうと自己診断した。それは右目の見え方が、全体的に白っぽく、薄い色味に見えたからだった。白内障なら、手術で治るので、放っておいた。
 眼科医に検査に行ったのは、コロナ最中の2020年11月20日だった。
 診断は、軽度の白内障と、右目は強度の緑内障だった。右目は、ほとんど失明状態だと言われた。しかも緑内障は症状の進行を止める方法しかないと言われ、何種類かの目薬が処方された。
 数か月後の夏、緑内障の進行を懸念してか、手術ができる眼科医への転院を勧められた。私の緑内障は、手術が必要だという。紹介状を書いてもらった先は、最新の医療機器を備えた有名な専門眼科医だった。

 


 2021年9月、新しい担当の眼科医は、「いずれは手術」といいながら私の目の状態の観察を開始した。3回くらい通って4回目の通院指定日の前日、担当の眼科医から電話があった。
「えっ、な、何ですか? 閉院? 診断できない?」
 私は数日前、通っている眼科医が潰れたという話しを聞いたが、とうとうそれが本当のことだということが明白になった。
 医療機関が潰れて診察が終わってしまうということは、あるんだろうか? 信じられなかったが、そのあり得ない問題が、自分の日常に現実となって体験された。数日後、閉院した眼科医から紹介状があって、元の眼科医に出戻りとなった。
 出戻り患者の私は、最小の眼科医に紹介状を持って行くと、診察や治療はしてくれず、数日後に別な手術ができる大きな医療機関を紹介されて、そこに行くことになった。
 私は、医療難民になってしまったのだ。紹介状で、たらい回されたのである。
 新しい医療機関は、眼科だけで7部屋もある大きなところだったが、なぜか、めちゃくちゃ混み合ったいた。私のような老人が野戦病院のように詰め込まれて待合室に屯していた。まずはまたまた検査である。小さな検査室には古い機器が散在し、そこに患者がすし詰め状態で忙しなく検査している。治療では、新しい担当医は大した検査をせずに、いきなり3か月分のこれまで処方されていた薬を処方した。12月だったので、翌年の3月にまた来いというわけである。
 私は、潰れた医院からなだれ込んだ、迷惑な患者のような扱いをされたと思った。
 いったい私の目は、どうなるんだろう。こんな扱いをされるのは、心外だった。そんな不快な思いで2022年を迎えた2月ごろ、一通のはがきが届いた。

 


 昨年閉院せざるを得なかった、通院していた眼科医院からだった。前のカルテを受け継いで治療をできる態勢が整ったので、いつでも再来院してくださいという趣旨だった。私は、野戦病院のような扱いを受けたところには通いたくなかったので、私は再開した前の眼科医に戻ることができた。
 因みにこの有名な眼科医院が潰れたのは、この医院が経営破綻したわけではないようだ。コロナ禍の影響で経営破綻した、関連の医療機関の経営的連鎖によるもののようだ。医療機関が突然治療ができなくなってしまうことは、行政の責任もある。どうして、閉院しなければならない状態を一時であれ、放置したのか?
 とまれ私は、それからその、眼科医のお世話になってきて、2023年の夏の始めになってようやく、担当医が右目の手術を決めてくれた。
 こうして9月5日に右目、11月14日に左目の緑内障・白内障手術が終わり、やっと私の両目は、単焦点の人工レンズによる快適な視界を得ることができた。
 ずっと最近、文字を判別するのにストレスを感じていたので、新たに眼鏡を作り変え小さな文字がくっきりとストレスなく読めることに、懐かしい喜びを感じた。どこからともなく、言葉が洩れる。
「ありがとうございます」