2023年9月5日11時ごろだった。
 私がピンクのリクライニングシートに座ると、背もたれが下がって水平になり、何やらシーツのようなもので全身が包まれた。ただ一つ空いている右目の部分だが、そこの周囲がテープで固定され、右目の瞼も開けた状態でテーピングされた。
 開いている右目に麻酔薬か消毒薬かの液体が、びちゃびちゃと飛び込んできた。すでに1時間以上前から麻酔薬を点眼されているので、感覚は薄い。しかし眼球の周囲の肌には麻酔の効果が薄いので、結構冷たさとか、時には痛みがあった。
「歯医者さんのような椅子があるので、そこに座って寝て、目だけぼおっと天井を見ていてください。すぐに終わりますよ」
 事前に先生にそう言われていたし、私の妻も白内障の手術をしてすぐに終わり、何の痛みもなかったと言っていたから、そんなに心配はしていなかったが、正直ビビリな私は、血液検査で血を採られることすら怖いので、恐怖を感じないわけがない。
 手術前に血圧を計った。だいたい60~120の範囲。これは私が20代くらいの健康診断をしたころから高齢者になったいままで、変わったことがない。血圧だけは、いつも超優良なのだ。70を超えると血管が固くなるので、抹消血管まで血液を送るために、血圧は上が百数十くらいないと高齢者は健康といえないという説があるが、それはどうなんだろう? 私には当てはまらないように思う。
 とまれ、これまで血圧で通常範囲を越えたことが、たぶん一度もなかった私だが、手術直後に測定した血圧は、90~140に上昇していた。これは、私が1時間近くに及ぶ手術で強度の緊張状態にあったことの顕れであろう。

 先生に手術をすすめられたのは、2023年7月28日のことであった。緑内障で2年ほど眼科医に通っていたのだが、この日、いつも0.4あった右目の視力が0.1も危うい結果となったのである。
 右目が見えにくくなったという自覚症状はここ2か月くらい前からあったので、手術をすすめられたことは、内心、怖いのだけれども嬉しかった。
 手術についての説明を先生がしてくれた。
 「線維柱帯切開術」という術式だという。そう聞いてもまったく分からない。眼圧をさげる処置をするわけだが、同時に白内障の手術も行うという。
「視力の改善のために行うが、緑内障は回復することはないですよ。症状が進行しないように、眼圧を下げる手術です。白内障が改善する分は、見えやすくなるはずだけど」
 私には、選択の余地などない。先生にただただ、お任せした。
 当初、手術日は8月29日が予定だった。が、前日、先生の体調不良で1週間後に変更された。

 そして遂に、その日が来た。
 いよいよ私の右目の手術が始まったのだ。
 正直、いったい何がどうなっているのか、明確な記憶はない。テープで開かれた瞼てむき出しになったはずの目に、何やら冷たい感触の目の周囲を固定する器具が取り付けられた感触があった。目の周囲の皮膚の一部に軽い痛みがあった。
 すぐに、手術を始めるという先生のことばがあった。大きくむき出しになった目は天井を見ていたが、ぼわっとした光しか見えない。先生は、私の顔の右側に立って私の目を覗き込んで何かメスのようなものを差し込んでいるのだろうが、そんな感触が想像されるだけで、分からない。顕微鏡で行うので、眼球は固定している。目の前に、ゆらゆらという光や、一瞬眩しい閃光があったり、見えなくなったり、ジュルジュっという音がしたり、キーンというような小さな音がしたり、先生が助士に何やら指示することばがあったり……。
 強い痛みはないが、何やら目の中がかき回されているような、気配か弱い感覚があり、ほおっとしてなどいられない。
 ときどき先生が「少し右を向いて」と言われ、そうすると「はい。いいですよー」と言われたりするが、「痛みはないですか?」とかは一言もなし。
 「はい。白内障のレンズをいれますよ。少し圧迫感があるかも」
 なんの圧迫感がないまま、白内障の手術は終わった。
 「では、緑内障の手術をします。頭を左に30度くらい傾けてください……。そうそう、これでしばらくがまんしてください。疲れたりしたら、声を出して」
 私は、「はい」と返事をしたかどうか? いよいよ、ちょっと難しい手術になる。

 緑内障は、眼圧が高くて視神経がバラバラと死滅してだんだん見えなくなる、とても怖い病気である。私は、自覚症状があってから数年間放置した。白内障だと自分で勝手に判断してきたのが、大きな人生の間違いだったのだ。早期なら、今は点眼薬(ミケルナ等)で緑内障の症状が止まる。少しでも見え方に違和感を感じたら、すぐに眼科医を訪れることをおすすめする。

 緑内障は、手術しても改善しない病気と聞いていたが、薬で眼圧が下げきれない場合は、眼圧を下げる手術が昔からあったそうだ。目の中に細いパイプを入れて眼圧を逃がす手術とかである。
 私が受けた緑内障の手術は、それではなく、「線維柱帯切開術」という術式である。線維柱帯という瞳の表面の組織を、通常は90度から120度くらいの範囲開き、眼圧を抜く処理をするのだが、私の受けた眼科医では、360度全方位の切開ができる装置があり、より大きな効果が期待できると言われた。瞳を一周して処置する手術のため、先生は手を休めることなく、瞳の周囲を少しずつ、ちくちくという感じで感覚が移動していく。
 私の右目の右下のあたりの処置になったとき、ヒビッという痛みが走った。麻酔が効いていない部分があったようだ。が、身体を動かすことも、声をあげることもできない。先生の手の先のメスのようなものが、目のなかでチクチクなにかをしているので、動いたら大変なことになる。
 神経の痛みなので、身体中が反応した。頭から足先まで、身体が動けないまま、硬直した感じがあった。その最中に、左肘に巻き付けられた血圧測定の器具が自動的に作動したときにはすごく慌てた。早く終わらないか、時間がとても長かった。
「あ~、大丈夫だ。全部できてる」
 先生は、360度切開の処理を確認したようだ。
「終わりましたよ」という先生の声とともに、右目はガーゼで塞がれた。

 手術の時間は、早ければ30分、長いと60分くらいと言われていたが、私の場合は50分くらいではなかったかと思う。
 この眼科専門病院では、火曜日が手術日で、この日の手術は14人だと聞いた。二人の先生が、午前と午後、集中的に手術をされると分かった。私は朝から数人目で、緑内障の手術は、かなり面倒なはずだ。私の次の患者さんは、私とは違う、緑内障の手術を受けるということが漏れ聞こえてきた。手術時間は私よりも長い、もっとたいへんな手術のようだった。
 現代医療には、良いことも悪いこともいろいろと言われるが、外科の手術や、今回の私が受けた緑内障の手術などで先生の手術に対する姿勢には、思わず頭が下がるしかない、崇高さを感じる。「ありがとうございます」ということばと気持ちが真心から沸き起こる。手術をする医者とはものすごい職業だ。

 



 これは遮光土器ではない。手術後の私である。

 術後のその日は、入院することなく自宅に帰り、何もしないでぼおっと音楽を聴いていた。手術を受けたときに痛みを感じたあたりが、ゴロゴロとして痛みがあった。が、痛み止めを服用するほどではない。保護メガネをかけて、そのまま就寝。
 
 術後翌日。9時に通院である。朝起きると、自分で目のガーゼを剥がす。
「見えるんだろうか? 見えなかったらどうしよう?」
 不安が走るが、どうしようもない。恐る恐る目のガーゼを剥がす。
 白い光が漏れ入ってきた。
 見える……光は……。
 しかし、……、見えない。真っ白だ。世界が……。
 右目は、まるで濃霧の中にいるよう。一寸先も見えない、濃厚な濃霧。車に乗り込んで、病院に急ぐ。ぼおっとだが、濃霧の中に車のシートやフロントガラスなどの輪郭が微妙に見えてきた。病院に着いて受付で待っていると、少しずつ濃霧が薄らいで、輪郭がだんだん見えてきた。検査で視力検査をしたが、濃霧で見えなかったが、先生の診察では、問題ない。
「思ったより、出血してないね。ときどき出血します。この手術は。2~3日はそんな状態が続くけど、問題ありません」
 この日、仕事を開始し、PCを見るなどをした。右目の濃霧状態は、夕方ごろまでにはかなり薄くなり、かなり見えるようになった。
 目から30センチ先あたりに、レンズの焦点が合っているようで、ぼんやりだが、文字が読める程度に改善していた。先生は、近視を弱めた設定にしたと言っていたが、そのとおりだった。

 

 

 写真は、術後2日目から2週間必要な、点眼薬3種類(上3本)と、ずっと付け続けている緑内障の点眼薬(下2本)である。
 術後2日目の夕食後、すこしうたた寝をした。すると、右目は濃霧状態になっていた。そのまま就寝してよく日、だんだんとまた右目の濃霧は薄くなり、もう大丈夫と思い就寝した。
 その翌日、術後3日めの朝、右目にはまた濃霧がかかっていた。あまり濃くはなかったが、気になった。しかし、昼ごろになると、ほとんど晴れ渡ったようにすっきりし、以降はもう、右目に濃霧が出ることはなくなった。
 手術をした右目は、術後から少しだけゴロゴロという痛みがあったが、それをほとんど感じなくなった。
 あとは、右目だけ3種類の目薬を1日4回(従来の緑内障の点眼薬は従来のまま)、術後2週間続けた。
 この手術に際しては、術後の翌日から、洗顔や洗髪は推奨された。目を水で洗ったあとは、術後1週間は、ヨード剤の点眼が必要ではあるが、猛暑の日々の最中、洗顔も洗髪も規制されていないことは、ありがたいことである。
 困ったことは、これまでの眼鏡では、右目がぼんやりとしか見えないことである。先生に相談したら、術後の目が安定するまで1か月以上かかるので、眼鏡合わせは先になる。それまでガマンしなければならない。
 安物の老眼鏡を、これまでの眼鏡に重ねると、なんとなく見えやすくなることがわかったが、うまくはいかない。

 


 

 これは、術後の生活の指導ガイドシートてある。洗顔や洗髪はできるが、汗をかく運動が1か月ほど規制される。
 一番心配していたのは、手術費である。アメリカであったなら、莫大な手術費を請求されるだろうが、私の場合は、18,000円だった。
「えっ、あれだけの手術だったのに、これだけなんですか?」
 と受付で聞くと、
「医療費は、月当たりの上限があって、それ以上はかかりません」
 
 70歳超の場合なのかどうか、高齢者には、こんな保健制度があることを知らなかった。保健が利かない多焦点レンズを入れなければ、こんな安い金額で、緑内障と白内障の手術ができることを体験した。そして右目の視力は、0.4を取り戻した。緑内障は改善しないのかもしれないが、人工レンズのお蔭で、確実によく見える目になった。執刀してくださった先生に、心から感謝を申し上げる。ありがとうございます。