クラシック音楽が大好きな人にとってすこぶる幸福時代になったという話をします。
クラシックというと、バッハ、モーツァルト、ベートーベン……と連想しますが、私は子供のころから馴れ親しんできたので、いわゆる名曲の演奏をあれこれと聞き比べることを楽しむようになりました。
私が高校生ごろのこと、当時ビートルスブームが日本に到来した時に、私はクラシックに転向し、ベートーベンの交響曲は、フルトヴェングラーという指揮者の演奏が最高に感動的だという話題がありました。日本では『英雄』のレコードを輸入盤で購入した評論家の感想があって、他の指揮者の演奏とは感情のうねりやスケールがまるで違うという心を惑わせるような話が続いていました。しかし、当時は、いったいどんな演奏なのか、耳にすることはできませんでした。そのため、その、フルトヴェングラーのレコードは、「幻のウラニア盤」とまで言われたほどでした。
あれから数十年経過した今、YouTubeをいつでもふつうに見られるようになってある日、私は目が点になるほど驚きました。なんとなんと、昔、幻とまで言われていた、垂涎のフルトヴェングラーのベートーベンの交響曲録音が、ぞくぞくとアップデートされていて、それをまるごと、しかもただで、たっぷりと自分の好きな時に好きなだけ聴いて楽しむことができたからです。
フルトヴェングラーだけではありません。同時に話題の中心にあった、アルトゥール・トスカニーニの演奏も、録音嫌いで有名だった曲者のクナッパーツブッシュ、ワルター、クレンペラー……私が若いころの垂涎の指揮者の演奏録音がぞくぞと数えきれないほど見つかる時代になって、今まだ生きてこれを楽しめる余生があることに、驚いているのです。
じつはというか、クラシック音楽を聴く人間は、どこかに自分の聴き方のポリシーというようなものがあります。他の人にはどうでもよいじつにつまらない聴き方のこだわりです。
たとえば、音楽を聴くなら、ヘッドフォンではだめで、かならずピュアオーディオで聴く、しかもスピーカーとスピーカの真ん中の三角点の中心で耳を研ぎ澄まして聴くこと……なんていうこだわりです。
私もそこまで厳格ではないですが、似た聴き方をしてきました。
だから、音源やオーディオにこだわります。すこしでもピュアな音で聴かないとダメだというような依怙地な、じつにくだらないだろうこだわりがありました。
こういうこだわりがあると、じつは音楽を聴く楽しみが限定的になってしまうことに気づいてはいました。音楽を聴く場をオーディオの前だけにする必要はないのです。音楽を持ち歩けるなら、若い人のほとんどがしているように、スマホで音楽を聴いて楽しんでもいいのでは? 「いやいや、あんなおもちゃみたいなイヤフォンでクラシックは聴けないよ」と最初はずいぶん抵抗する気持ちがありました。
YouTubeに関しても、PCのアンプの音ですから、それで音楽はちょっと本格的には聴けないとずっと思ってきたのです。
ある日、息子がブルートゥースのスピーカーを見せてくれました。それは掌の乗る昔の電話の受話器くらいの大きさの小さな箱で、スマホやタブレットのプレーヤーの再生音がコードレスで鳴りました。その音色がかなり良いのです。ずっとオーディオをやっていると、PC関係やカーオーディオやサラウンドなどとは一線を引いて考えてしまう傾向がありました。本格オーディオのモノでなければ、「そんなにいい音がするわけがない」という思い込みのようなものがありました。だから、掌程度の小さなスピーカーでブルートゥース接続? しかも値段が2000円、3000円、4000円、こんな程度のスピーカーだから……その程度の音しかでないだろう? という私の予測は大ハズレ。とにかく聴いてみると、そこそこ聴こえます、音楽が――。
私も通販で2000円代の安い筒状のブルートゥーススピーカーを買ってみました。これをどう使うか。スマホで音楽を再生できますが、もう一つ、このスピーカーにはマイクロSDカードが挿入でき、MP3の音楽データを直接再生できることを知り、CD等から音源をMP3にしてたいさん詰め込み、持ち歩いては音楽をBGMとして流し聞きするようになりました。
車のタイヤを代えるときとか、掃除をするときとか、お風呂やトイレでもスピーカーを持ち込んで、とにかくクラシックを聴きました。音楽があると気分がやすらぎました。こういう習慣ができると同時に、これまではニュースや時事問題を視聴してきたYouTubeで、クラシック音楽を探すようになりました。そこで見つけたのが、昔なつかしいクラシックの名曲、名演の数々たったのです。
YouTubeは、世界中のたくさんの情報を見たり聞いたりするには格好の媒体だと思いますが、クラシック音楽を聴くとなると、音質は貧弱ではないかという先入観はずっとありました。だいたいビデオについている音声は音楽専用からすると音質は落ちます。そんな音で、クラシックはさすがに無理だと思ってはいたのですが、昔なつかしい名曲・名盤が、これでもかというほど発掘されると、もうその虜になってしまいました。その事実をすこしずつ調べていくに従い、クラシック音楽を聴いて楽しむ人達の世界ががらりと変わってしまう予感がしました。
(つづく)