漁村の浜辺で踏み出した一歩 ①
宮崎の佐々木敬一や福島の渡部義彦らが登壇してきた「体験主張大会」。信仰の体験を交えながら、農漁業の生きがいを語る。全国に放映される大会には、一割以上の行政の代表が参加している。(全国の市区町村の数は1742)。市町村ごとの小さな単位でも活発に開かれる。
「食べ物のことを、いいかげんに考える社会は、おかしくなる。農村を忘れることは、人間を忘れることだ。自分の『根』を忘れることだ。文明人は、金に『魂ツコ』を取られてしまったのだ」(1999年8月22日付「聖教新聞」)──こうした池田の思想を踏まえて続いてきた主張大会。その「源流」はどこにあるのか。証言を追うと、九州、そして東北の地で結ばれた、池田と学会員の深い信頼の絆が浮かびあがってくる。
1978年(昭和53年)8月9日、宮崎市内の喫茶店「シノン」。来県した池田は同行の最高幹部とともに、宮崎のリーダーたちと懇談のひとときを持った。
「30人くらいでしょうか、それぞれのテーブルを囲んでいくつかの懇談の場ができました」。
宮崎の青年部長だった山口浩(現・総県総主事)県下をくまなく歩き、一つの結論に達していた。
「要するに、農村と漁村の青年に光を当てる、ということです」。
向いに座った幹部に、これから取り組むべき課題を語った。──目立たない集落にも、立派に信心を貫いてふるさとの繁栄を願う青年がいる。彼らの思いを「主張大会」のような形で社会に伝えたい──。
小さな村や町ごとに行えば、必ず多くの人々に届く。山口には確信があった。じつは6年前の夏(1972年)、宮崎県最北の北浦町で、すでに同県初の「主張大会」を行っていたのだ。延岡市の中心から山を四つ越えた、海沿いの小さな漁村である。赤胴色に日焼けした漁師の酒井一孝(副圏長)が、その中心者として奔走した。