EIKOの気まぐれ闘病日記 -168ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 いつも私のブログを読んでくださり、ありがとうございます<m(__)m>


本日で、「小説『人間革命』と沖縄」の連載が終了しました。


次回からは、「母たちの合掌(いのり)」を連載予定です。


これからも、よろしくお願いします<m(__)m>

 「ドキュメンタリー青春」などで頭角を現し、「朝まで生テレビ!」や「サンデープロジェクト」で、テレビ・ジャーナリズムの新境地を切り開いた田原。この時の番組制作を含め、三度、池田を取材している。

 「どの時も池田さんは、何でもお話になった。一切、ためらわない」

 その一端は、実際に発表されたインタビューにも表れている(『「戦後50年の生き証人」が語る』中央公論社)。

 公明党議員から閣僚が選ばれた時。学会の会合で池田が、

「大臣は皆さんの部下です」

 と話したことがある。国会でも取り上げられた。そこを田原は突っ込んだ。これは公明党が学会に支配されている証拠ではないか、と。

 池田は「いい話じゃないですか」と答えた。


 池田 いい話じゃないですか。議員や大臣は公僕でしょう。主権在民だから、大臣より国民のほうが偉いのは当然だ。田原さんは、大臣のほうが上で国民が部下だと思われますか。大臣だって自分の選挙区にいけば、選挙民に最敬礼しているではありませんか(笑)

 田原 池田さんは「公明党閣僚は創価学会の幹部の子分だ」という意味で、そういったわけですか。

 池田 とんでもない!権力者のいいなりになっては絶対にいけないという意味だ。

     ともかく議員や大臣を先生よばわりして偉くさせすぎてはいけないと思う。いつも選ばれた人に威張られて、選んだ人がばかにされてはかわいそうだ。


 「池田さんは、ごまかさない。逃げない。真っ直ぐに答える。だから『ああ、本物だ』と感じました」

 マスコミによる学会バッシングについて田原は、「(学会に対する)いじめはあったと思う。今もあると思う」

 「今、不況の日本しか知らない若い世代が増えている。幸福とは何か。何のために生きるのか。本気になって国中が考えなければならない時代になった」

 学会は、特に若者に方向を示し、『新しい幸せのかたち』をつくる役割を課せられていると思う。そんな力は、民主党にも自民党にもない。残念ながら、それは公明党の仕事でもない」

 ぎろりと睨んで、畳かけた。

「今こそ創価学会の出番だと思いますよ」


 1964年(昭和39年)の11月、公明政治連盟が発展的解消を遂げ、新たに「公明党」が結党された。

 明けて65年(昭和40年)夏、7月。公明党として初めて挑む都議選、そして、参議院選挙の大勝負が控えていた。

 学会は500万世帯を突破。機関紙の「聖教新聞」は、従来の週3回刊から日刊化へ踏み出そうとしていた。

 「破竹」

 と呼ぶに相応しい発展のなかで、『人間革命』の連載はスタートする。

 この昭和40年を、池田は「勝利の年」と名づけた。

 



 ナイショさんから、可愛いいプレゼントを頂きました音譜


 本当に、ありがとうございましたドキドキ

 今日(昨日)は月に一度の通院日でしたバス


私は甲状腺の持病があるのと、今の担当医に出会うまでは、一つ症状を言うと一つ


薬が増える事が多かったし、診察時間3分の病院もあったりしたので、東京の病院ま


で通っています病院


 親からは近くの病院に変えたら?って言われるけど、担当医が変わると、新しい担


当医に1から病気の経過などを話さないといけないので、中々変えられません。


 東京まで通院すると、とても疲れるのですが、私は都会が好きなので、半分は月に


一度の楽しみになっています音譜


 今日は首都高が混んでいてバスが1時間遅れたり、いろいろありましたが、検査結


果はまずまずだったのでホッとしましたラブラブ


 これから暮れに向かうにつれて、ぺタ返しが遅れることがありますので、よろしくお


願いします<m(__)m>



 池田が書き始めた4日後(12月6日)。夜9時から、1本のテレビ番組が放送された。

「未知への挑戦 人間革命」

 一人の学会員を主人公に据えて、本当に「人間革命」は可能なのか迫ろうという企画である。

 世間をにぎわせている創価学会の運動の核には、どうやら「人間革命」という思想があるらしい──ここに注目した一人の男がいた。

 同年4月に開局したばかりのテレビ局、東京12チャンネル。その新進気鋭のディレクター、田原総一朗である。


「大幹部でない人を取材したい」。田原は学会の広報担当に要請した。一人の女子部員を主人公に、3ヶ月にわたって取材。座談会をはじめ、10数箇所の会合に訪れた。女子部員の家族、高校時代の恩師、心理学者などにも声を聞き、45分の番組にまとめた。

 その取材過程で、田原は初めて池田と会う。東京・両国の日大講堂。10カ国・18日間の海外指導から帰国したばかりの池田会長を迎えた大会である。

「宗教なんだから、権威的で、厳かな講話だろう」「NHKニュースのような話し方じゃないだろうか」と想像していた。

 まったく違った。

 気さく。威勢のいい江戸っ子の口調。各国訪問の模様を語っても、ユーモアに次ぐユーモア。約2万人の会場は沸きに沸いた。旺盛なサービス精神に驚いた。


 2001年、その田原に、戦後日本社会で創価学会が果たした役割を尋ねた。

 田原は、

「それはね、『座談会』ですよ」

 と即答した。

「私が取材した座談会は、誰でも集まれて、何でも悩みを話し合い、絶望しかけた人が前向きになる、貴重な場だと思った。

 取材の時も、その後、学会員の方々と付き合うなかでも、そう。貧しい人、病気の人、嫁姑など家庭の争いゆえに不幸な人たちが、どんどん幸せになっていくと感じた」