「あの家ありて」 ②
「33歳でした。病気は心臓疾患、肺結核、腎臓結核、卵巣の腫瘍・・・・あとは忘れました」伊藤時
枝(山口池田総県婦人部主事)は笑う。1923年(大正12年)に生まれ、25歳で国鉄の車掌だった政
治と結婚した。二人の子に恵まれたが、内職の無理がたたり、寝たきりになってしまった。
「夫が庭先で、洗濯板を使って洗濯しているところに、堺支部の方が通りかかり、声をかけてくれたんです」。
ひと月後、弘宅で座談会があると知った。まだ信心していなかった夫に頼み込み、自転車の後ろ
に乗せてもらった。
「先生は私に『あなたは病気ではありませんよ』と言われました。びっくりしました。今から思えば私
は身も心も病人なのだとあきらめていました。先生は、心に巣食う魔を打ち破ってくださったのだと思います」。
伊藤は翌日も夫の自転車の後ろにしがみつき、池田の宿泊先だった「高木屋旅館」に行った。
這うように階段を上ってきた伊藤に、池田は「病気を治す方法は折伏です」と語った。時枝はタクシ
ーで近所の友人を回り、同じく心臓病で悩んでいた中屋サダ子(萩市、婦人部員)たち3人を「高木
屋旅館」に連れ出した。池田は「私も肺病で、洗面器に血を吐きながら苦しんだんですよ」と語り、三
人全員がその場で入会を決めた。
「その場で先生から『三人のお姉さんになるんですよ』と言われて、急に張り合いが出ました」。
4ヵ月後、伊藤の病気は治っていた。通院していた玉木病院の医師も首をかしげた。
「3ヵ月後、大阪の会合で先生に先生に再会し、ご報告しました。涙がぽろぽろ出ちゃって、御礼も
言えませんでした」。
自転車を駆って、萩の街中に「聖教新聞」を配って回った。89歳の今もすたすたと歩く。
「あれ以来、7年前に皮膚がんで一度入院した以外、病気は一切ありません。先日も病院の検診で『どこも異常ないから来なくていい』って言われたんですよ」と笑った。
弘兼輔の次男、教満が学生時代のことである(1973年)。
「本部幹部会で先生が『今日の参加者は、ひと月に1回でいいから私宛に手紙を書いてください』と言われたことがあり、私はわが家で行われた座談会について書きました」。しばらくして、池田から『御書要文集』が届いた。表紙をめくると、池田の直筆が目に飛び込んできた。
「懐かしき
あの家ありて
今日の指揮」