「青年よ忘れるな権力の残酷さを」 ②
「ありったけの地獄を一つに集めた」と言われる沖縄戦。アメリカ軍が慶良間諸島に上陸し、地上戦に突入したのは1945年(昭和20年)3月26日である。渡嘉敷村で、座間味村で、日本軍の脅しや命令により、住民たち次々と「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。
50年後の同じ日──池田は沖縄にいた。記念総会のスピーチで<青年よ忘れるな、権力の残酷さを>と訴えている。
<ただ一点、将来のために一緒に確認しておきたいことがある。それは、沖縄戦ほど「日本の権力の魔性」を雄弁に証明したものはない、という事実である。
なぜ、あれほどの犠牲者が出たのか。それは、「日本の本土を防衛するため、なるべく長く、米軍を沖縄に釘付けにしようとした」戦略からであった。初めから、そういう作戦であった沖縄の国土は本土のために”捨て石”にされ、”盾”にされ、”手段”にされたのである。・・・・・・「日本の軍隊は『国民を守る』軍隊ではなく、『権力を守る』ための軍隊であった」──これが根本の事実である。私は、「二度とだまされてはならない」「断じて許してはならない」と叫びきっておきたい。戦後も、「日本を守るため」の名分のもと、日本にある米軍専用施設・区域の75㌫が、日本の国土の0.6㌫しかない沖縄に集中している>(『池田大作全集』第八五巻)
続けて池田は小説『人間革命』を沖縄で書き始めた理由を語った。
<討幕を可能にした薩摩藩の経済力も、琉球を支配して得た利益の賜であったことは歴史上の事実である。こうした事例からも”沖縄があったからこそ、明治維新もあり、日本の近代化もあった”と言われている。
ところが、日本は恩を知るどころか、一貫して沖縄を利用し、踏みつけてきた。この歴史を断じて繰り返させてはならない。
「権力の魔性」は、残酷である。そのことをいちばん、心の奥底で、肌身で知っておられるのが、沖縄の皆さまである。私が小説『人間革命』をこの地で書き始めた理由も、沖縄がいちばん「権力の魔性」によって苦しめられた国土だからである。小説『人間革命』は、「民衆による『権力の魔性との闘争』」を描く小説だからである>(同)
「権力の魔性」をどう見抜くか。牧口常三郎、戸田城聖、池田大作と続く師弟の志を、沖縄の地でどう受け継ぐか。反戦出版に続いて沖縄の青年部が取り組み、内外に大きな反響を呼んだ平和運動があった。
その企画には、ひめゆり学徒隊の引率教師として多くの教え子を奪われ、「ひめゆり平和祈念資料館」の礎をつくった言語学者の仲宗根政善や、沖縄を代表する平和学者である太田昌秀らが全面的に協力した。「沖縄の絵」展である。