初めて会った人をここまではげますのか ①
「私がアルゼンチンに渡った時、女子部は四人ほどでした」と榎本仙子は語る。アルゼンチンSGI鼓笛隊の創設メンバーの一人である。
仙子は東京の品川に住んでいた。高校を卒業してすぐ、アメリカの大学に行く予定だった。しかし卒業直前、病気で自宅療養せざるをえなくなりい、留学の夢が断たれた。タイピストの学校を出て、旅行代理店で働き始めた頃、創価学会のことを知る。
「近所のおばさんから話を聞いて学会に入ったのですが、じつは一年でやめようと思っていました」という。しかし池田が出席した会合に参加して、人生の歯車が動き出す。池田の話を聞いて「働きながらでも大学に行きたい」と一念発起した仙子は慶応義塾大学に進学。ドイツ文学を学んだ。
「学生部の時、ある会合で池田先生が『青年よ海外に雄飛せよ』と訴えられたんです。こんな自分でもできるかもしれないと思えました」。
そんな折、友人から「一緒にアルゼンチンにホームステイしないか」と声をかけられた。「本当はドイツに行きたかったのですが、友だちとも相談して、まずアルゼンチンに行ってみようと決めました」。そして信濃町の学会本部まで挨拶にに行った時のことである(1966年4月)。
「女子部の先輩から『ちょっと待ってね』と言われ、案内された応接室に池田先生がおられたんです。
25歳で大学を卒業し、海外を目指す女子部員がいると聞いた池田は、仙子に会い、家庭の状況や将来の夢を尋ねた。
「緊張して、何を聞かれてもハイしか言えませんでした」。「ハイだけじゃわかんないよ」と苦笑いする池田に、仙子は思い切って相談した。「本当はドイツに行きたかったのですが、これでよかったのでしょうか」。もしも池田に会ったら尋ねたいと思っていた。
池田は一言、「本有常住だから大丈夫だよ」と答えた。「先生の言葉の意味がわかったのは、アルゼンチンで御書(=日蓮の遺文集)を勉強している時でした」。本有常住とは『人間の生命は本来、過去、現在、未来の三世にわたる」と説く仏法の考えである。
戸田城聖は「本有の生命、常住の仏」という表現を使い、「凡夫のわれわれのすがた自体」が仏をあらわしていく道理を説いた(『生命論』)。池田は「どこに行っても、そこに『本有常住』の『常寂光土』がある。行った場所,行った場所で、毅然と戦い、勝利を勝ち取る人、その人が真の仏法者なのである」と語っている(1993年9月10日付「聖教新聞」)。