民衆こそ王者ー池田大作とその時代 先駆者たち──中南米篇(5) 2 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  五月広場の母たち ①


 エスキベルは「国家によるテロ」に講義し、エクアドル、ブラジル、チリ、ウルグアイで当時の軍事政権に投獄され、国外追放された。彼が携わってきた無数の人権闘争の中に、今も続く世界的に名高い運動がある。

 ───1977年(昭和52年)4月、軍事政権下のアルゼンチン。首都ブエノスアイレスの「五月広場」に、14人の女性が集まった。全員、頭に白いスカーフを巻いている。そのスカーフには、「行方不明」なった家族の名前が青い糸で綴られていた。軍事政権から1年。大統領府の目の前で、彼女たちは文字通り命がけの闘いを始めようとしていた。

「76年から83年までの軍政の初期、『汚い戦争』と呼ばれた恐怖政治が続いた。反政府活動者たちはもちろん、何の関係もない人々まで、テロリストを処罰するという名目で連行された」。

池田はエスキベルと会談する半年ほど前、彼女たちが立ち向かった軍事政権の実態を「聖教新聞」に綴っている。(『池田大作全集」』第一二三巻)。

 

 「軍人たちが突然、家に乱入し、銃を突きつけて、連れていく。警察は読んでも来ない。秘密の収容所で拷問、虐殺。飛行機から生きたまま落とされたひともいる。学生定期券の発行を要求しただけで虐殺された男女高校生もいた」

 アルゼンチン全土で、3万人が「行方不明」にされた。殺された高校生たちの悲劇は「鉛筆どもの夜」という映画になり、広く知られた(邦題は「ミッドナイト・ミッシング)また、妊娠中の女性を拉致し、生まれた子を軍人に育てさせ、子を産んだ女性はそのまま「行方不明」で処理されるケースも後を絶たなかった。

エスキベル自身もパスポートを更新する際、連邦警察庁で拘束され、「行方不明」にされかけたことがあり、その様子を池田に語っている

 放っておけばエスキベルは消されてしまう。妻のアマンダは警察に出向き、「私と一緒にいた時、夫はこの場所で逮捕されたのです」「会わせなさい」と言い切った。じつはアマンダは、逮捕現場に居合わせていなかった。夫の命を救うため、あえてそう叫んだのだ。アマンダのあまりの勢いに押され、警察はエスキベルを拘束している事実を認めた。