民衆こそ王者ー池田大作とその時代 先駆者たち──中南米篇(3) 19 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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   「二〇人」の約束 ①


 この三度目のブラジル訪問の際、池田が「ノーヴァ・エラ」(=新世紀)と命名したグループがある。ブラジルSGIの鼓笛隊である。その土台をつくった森原意津子は広島に住んでいる。

「ブラジルの鼓笛隊は八人でスタートしました。日本では鼓笛隊をやっていた星野玲子さんが、先生に手紙を書いてくれました」。

 森原は中学を卒業してすぐ、広島の葉室潔モダンバレエ研究所に通った。バレリーナを目指していた。18歳の時、家族9人でブラジルに移住した。

「サンパウロ州のガピアラという山の中で、トマトとジャガイモをつくりました。もちろん水道も電気もなくて、トイレもお風呂も自分たちでこしらえました。動物園の中に住んでいるみたいでしたよ」。

座談会場まで歩いて4時間かかった時代である。移住して3年が経ったころ、その座談会場で森原は、日本の鼓笛隊がパレードしている写真を見た。「あなた、音感がいいからやってみない?」と誘われた。


 「アクリマン公園で練習しました。制服も楽器も足りなくて、近くの学校で使わなくなった太鼓をもらったりもしました。結成の翌年、池田は日本からブラジルにピッコロや制服を贈っている。

 「日本の鼓笛隊と比べると、とても鼓笛隊とは言えない」と悩む森原を、シルビア・サイトウが励ました。「『日本の真似をしなくていいんだよ。一ちゃん(=森原)らしい鼓笛隊でいいんだよ』と言われてうれしくて。思い切り練習しました」。

 シルビアは「雨の中、三番目の子どもがお腹の中にいた時、膝まで水につかって、言葉も地理もわからないで、1時間歩いたことがあります」と語り残している。「その時、シルビアさんが訪ねてくれたのが私の姉の家でした。お産を控えた姉を励ますためにわざわざ来てくれたのです。忘れられません」(森原)。