民衆こそ王者ー池田大作とその時代 先駆者たち──中南米篇(3)10 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 「18年分の空白を埋めさせて頂く」 ①


 大統領から親書が届いた後も、実際に池田を迎えるまで、ブラジル国内は緊迫した状況が続いた。まだ軍事政権下である。ブラジルSGIの機関誌に載った挿し絵が「軍幹部に批判的である」と問題視された。

 「彼らは『機関誌の責任者をクビにしろ。そうでなければ、さらに圧力をかける』と恫喝してきました。まだまだ軍が大きな権力を握っており、万が一のことがあってはならないと皆で相談しました」。現ブラジルSGI理事長のジュリオ・コウサカが語る。

 コウサカの両親は、父の義郎が青森から、母のカツが札幌から、それぞれブラジルに移住した。サンパウロに近いサントアンドレで知り合い、結婚した。

「家は養鶏場を経営していました。私も手伝いが忙しく、中学校は入学しただけで通えませんでした」とコウサカは振り返る。

 17歳の時、父が脳梗塞で倒れた。兄とともに養鶏場を継いだ。「この信心を始めたのは、若気の至りで商売を広げすぎ、借金を背負って苦労していた時です」。

 第二回ブラジル訪問で、政治警察に監視されていた池田と初めて言葉を交わした。その後、青空市場で卵を売る道が開けた。家業が軌道に乗った後、ブラジルSGI職員になり、機関誌の編集に携わってきた。

 コウサカはブラジル男子部長でもあった。軍政の厄介さは骨身に染みていた。「この身はどうなってもいい」と腹をくくった。ブラジルSGIはやむなく軍幹部の要求を受け入れ、コウサカをはじめリーダー数人を更迭せざるをえなくなる。池田がブラジル入りするわずかひと月前である。激励の渦中、池田を迎えた。