難病の悲しみから生まれた希望の歌 ①
作曲した青年は今年、70歳を迎えた。「『サウダソン・ア・センセイ』は、もともと『フロール・デ・ロートゥス」』(=蓮華)というタイトルでした。南無妙法蓮華経の蓮華です。蓮華は泥沼に咲くでしょう?」彼はこう続ける。
「病院の中で、改善する見込みのない病に苦しみ、悲しみに暮れ、希望を持てない多くの人々と一緒に暮らしていました。SGIに入ってから『泥の中で咲く蓮華って、難病で苦しんでいる私たちのことじゃないか』と感じていたのです」。
リオで生まれ、リオで育った。ブラジル各地で行われるサンバの教室や作曲コンクールに携わってきた。生粋の「サンビスタ」(=サンバを愛する者)である。レコードも売れ、いくつかのコンクールで賞も受けた。30歳を過ぎたころ、体のあちこちに斑点があらわれた。ハンセン病だとわかり、その日のうちに強制入院させられた。
「病院で、足や指のない人、顔の形が変わってしまった人たちを見てショックを受けました。毎日泣いて、逃げ出すことばかり考えていました」。
今は後遺症もなく完治したが、病状が悪化した時は,体の痛みに耐えられず、呻き続けた。
リオの中心者を務めてきたエイイチ・サゴウ。「当時、彼の入院していた施設の一角は、SGIメンバーがたくさんおり、『仏の館』と呼ばれていました。私も何度も通いました」と振り返る。
「ハンセン病患者を隔離するための病院です。周辺一帯がそのための町になっており、学校も商店街も映画館もありました。そこで生まれ、一度も外へ出ずに亡くなる人もいました」。その町に仏法が少しずつ広まり、やがて班ができ、地区ができた。