真面目な人が最後は勝つ ②
「ブラジル日系人社会の大きな問題は、世代間の意識の違いでした」。
宗教社会学者の渡辺雅子(明治学院大学教授)は「日本の宗教が異文化でどう受容されてきたか」をテーマに研究を重ねてきた。ブラジルで何度もフィールドワークを続けるうちに浮かび上がったことがあるという。
「ブラジルSGIの歴史は戦後から始まります。彼らは戦前移民の一世たちを折伏し、そこから言葉や世代の壁を超えて、移民二世にも信仰が伝わった。これが、日系人の枠を超えて、早く、しかもスムーズに創価学会が広がった理由です」
戦前移民たちの偏見と闘い続け、信頼を勝ち取った一人にイサム・オノザトがいる。ブラジル南部・パラナ州の一粒種である。
「私がロンドリーナに来た1960年代は『新来』と『創価学会』はひどく差別されていました」。「新来」とは、日本の敗戦後、ブラジルに渡った移民のことである。
戦争が終わって間もなく、ブラジルの日系人社会は「日本は戦争に勝った」と信じる「勝ち組」と、「日本は負けた」と認識する「負け組」に分裂してしまい、何度も殺人事件が起きた。日本の敗戦を伝えた新聞社の幹部が「勝ち組」によって殺された。正しい情報が行き渡らなかったために起きた惨劇だった。
「勝ち組」「負け組」の悲しい経験を経た年配者たちと、戦後の日本を知る「新来」移民との間には、大きな意識の差が生まれていた。
オノザトが単身、ブラジルの地を踏み、ファゼンタ(大農場)で働き始めたのは20歳の時だった。現在は家族でコーヒー園と牧畜を営むが、独立を果たした直後、詐欺に遭い、全財産を失ったこともある。
「諸君は狭い日本だけにとらわれず、あらゆる立場で全世界に雄飛してほしい」。日本を発つ前に知った池田の言葉に励まされた。
「ロンドリーナでは何度も『学会は暴力宗教だ』と聞かされました。学会員は私一人だけで、妻も学会員を見たことがなかったのにね」とオノザトは笑う。
日系人の組合の集まりで、ある邦字新聞の記者が偏見まみれの学会批判を語っていた。オノザトはその記者に話した。「もし私に個人的に至らないいことがあれば、それを取材して新聞に書くことは一切かまわない。だが創価学会と池田先生のことを書くなら、徹底的に本当のことを調べて事実を書いてほしい」。
その記者は非を認め、謝罪した。話の根拠はなかったのである。
「彼はその後、SGIの会合に何度も足を運ぶようになりました」。
オノザトたちが初めてパラナ州で座談会を開いてから41年後、ブラジル屈指の総合大学であるパラナ州立ロンドリーナ大学は、池田に対して東洋人初となる名誉博士号を授与した(2004年4月)。
その際、同大学総長のリジア・ルミナ・プパトは池田に「私の学生時代は、軍事政権のまっただ中でした。池田会長をブラジルに入国させないという、理不尽なことを行ったのも、この政権です。私は、深い深い憤りを感じています」と語っている。