民衆こそ王者ー池田大作とその時代 「地域の灯台」──農漁業に生きる(3)10 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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   大凶作の年に始まった「ルネサンス」 ①


 九州の地でも、東北の地でも、「青年が声をあげる」ことによって新しい流れが生まれた。さらに、1993年(平成5年)を境にして、「体験主張大会」は壮年、婦人を巻き込んだ大きな運動になっていく。

 この年、日本列島は記録的な冷夏に見舞われた。とりわけ東北の米は戦後最大級の不作となった。93年の水稲の「作況指数」(収穫量が平年と比べて多いか少ないかを表す指標。平年収量を100とする)は全国で74、東北は56.つまり東北は、例年の半分しか収穫できなかったのである。青森28、岩手30、宮城37・・・・・・水稲の被害総額は東北全体で約4700億円にのぼった。


 宮城の農村部はこの年、初めて「ルネサンス」(=再生)の名を冠して、「農村ルネサンス体験主張談大会」を開いた。5月に古川市(現・大崎市)と築館町(現・栗原市)、6月に色麻町と涌谷町で開催し、反響を広げた。当時、宮城の農村部の中心者だった錦本雅晴(山形・山辺町、副総県長)は語る。

「我々の先輩は、旧習深い地で、『地域の灯台』として信頼を築いてこられた、その『再生』 の体験を通して、課題の多い農村に希望を広げよう、と考えました」。

 同年12月、東北各県の農村部長らが集まり、話し合った。そして「農村ルネサンス運動」を活動のテーマに掲げた。今日まで「自らの体験を語る」運動を地道に進め、さらに多くの人々に反響を広げている。