うつむくな 胸を張れ ①
富士短大の二部に集まった人々もまた、その多くが当初、高校に進む予定すらなかった。また富士短大が池田の母校であることを知る人もまだ少なかった。
佐藤丈史(東京・品川区、支部長)は中学卒業後、近くの会社の事務をしながら都立牛込商業高校の定時制、そして富士短大の二部に通った。父の広は、製紙の洋服箱の製造業を営んでいた。
「定時制の三年生の春、先生が出席された会合で『男子は皆、大学に行きなさい』と言われたのですが、本当にびっくりしました。二人の兄は中学時代から家業を手伝い、仕事が忙しい時期には学校まで連絡が来て呼び戻されるような毎日で、私もそれまで大学なんて考えたこともなかったですから。今から思えばあの先生の一言に降れたおかげで、目の前の世界が大きく開けました」
大沼洋子(東京・世田谷区、区総合婦人部長)は静岡・掛川の農家に生まれた。七人きょうだいの末っ子だった。母の三浦とみが学会の話を聞いて帰ってきた。「いい宗教らしいですよ)と言うとみに、父の藤次郎は「断ってきてやる」と意気込んで出ていき、「俺はやるぞ」と入会を決めて帰ってきた。洋子が五歳の時だった。
「両親からは『うちはお金がないから高校には行かせてやれない』と言われていましたが、ちょうどその頃、聖教新聞に載った定時制の人の体験談を読んで『こうっやって高校に行けるのか!』と知りました」
会計事務所で働きながら大田区の大森高校定時制に通った。二学期になると生徒の数が減った。給食で余ったパンとマーガリンをもらって食費を浮かせたこともあった。