民衆こそ王者ー池田大作とその時代 青年の譜(11) 「大阪事件」(5) 7 | EIKOの気まぐれ闘病日記

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

  「『真夏の暗黒』を思い出した」 ②


 その場に集った関西の学会員の大半は、池田の裁判がどう進んでいるのか、知るよしもなかった。

 裁判の初期、池田は危惧を記している。四度目の出廷(第八回公判)の時だった。

「大阪地方裁判所で、午前十時より午後四時まで、公判。一口もしゃべることなく、終わる。ただ、非常に不利の感じを受く」(一九五八年九月二十五日の日記)。

 

 池田の妻、香峯子はある日の公判後、関西の婦人部幹部に宛てて次のような手紙を書いている。

「いつも主人がお世話になっております。今回は、主人の具合が悪かったので、(大阪から東京に戻る時に)横浜まで迎えに行きました。その日は横になりましたが、翌日には元気で出勤しました」。


 公判が進むにつれ、学会員に対して警察、検察がどれほど暴力的な言動を重ねていたか、次から次へと明らかになっていった。

 「『真昼の暗黒』を思い浮かべましたよ」と林智栄子(奈良市、関西婦人部総主事)は振り返る。「真昼の暗黒」とは、実在の冤罪事件(八海事件)をモデルにつくられ、一九五六年(昭和三十一年)に大ヒットした映画のタイトルである。真犯人が自分の罪を軽くするため、関係ない四人を共犯者に仕立て上げる。そのために拷問を受け、耐えきれずに嘘の自白をし、死刑判決を受けた無実の男が法廷で闘う・・・・・。