「『真昼の暗黒』を思い出した」 ①
こうした支部結成のドラマが全国各地で繰り広げられていた最中の一九六一年(昭和三十六年)三月、大阪事件の裁判を担当していた弁護士は、池田に「有罪を覚悟するように」と告げている。
この月、池田は三日間で五回も出廷している。
「いよいよ戸別訪問関連の審理が始まる時です。先生は、大阪事件を担当した弁護士陣の無責任な態度に激怒されたそうです。これまで折に触れて、その時のことを何度も伺ってきました」(原田稔、会長)。
三月六日、池田は二度出廷した。翌七日は出廷後、関西の男子部、女子部がそれぞれ大きな会合を行い、その両方に出席。さらに翌八日にも二回公判があり、夜は関西三総支部の幹部会に駆けつけた。池田は自身の出廷のスケジュールに合わせて、次々と会合予定を組み込んだ。
熱気の渦巻く尼崎市の体育館には、大阪や神戸などから、ろうあ者のグループ三十六人も参加していた。耳の聞こえない彼らは、手話の通訳をしてくれる壮年部員と壇上とを交互に見つめ、体験発表に涙し、池田の学会歌の指揮に歌声を合わせた。
池田は退場する際、立ち止まり、彼らが座っている二階席の一角を見上げて大きく手を振った。京都から参加したろうあ者の一人、山二信太郎は「(これまでの人生で)人間扱いしてくれるのは学会だけだ」と当時の聖教新聞にコメントを寄せている。