原爆だけは許せんぞ ①
起訴から一か月あまり経った9月4日。大阪地裁から出頭命令の召喚状が届いた。第一回の公判は10月18日に決まった。
召喚状が届いた4日後──池田は横浜の三ツ沢公園にいた。全国から男女青年部が集まった。「若人の祭典」。その責任者として奔走していた。
陸上競技場のスタンドに、戸田城聖が立った。
「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」──開襟シャツの袖を風に揺らしながら、振り絞るような声で語り始めた。
青年部五万人を前に、戸田は核兵器の悪を糾弾した。
「(核兵器の)奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と訴え、「民衆が生存する権利」に言及した。
「その権利をおびやかすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります・・・・・(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずる」
戸田の訴えは原水爆禁止宣言」と呼ばれ、創価学会の平和運動の原点となっていく。