庶民の精一杯の抗議 ②
久野勇(阿倍野区、総区主事)は妻と生後4か月の長女とともに参加した。
「土佐堀川沿いにあったテニス場のあたりです。スピーカーの音が雨や雷でかき消されてしまって、中の様子はあまりわからなかった。それでも帰ろうとする人はいなかった」。小木曽トシ子(大阪市北区、婦人部副本部長)は「まるで路上から吹き上げるような大雨でした」と書き残している。
「両手に子どもの手をしっかり握って参加しました。土佐堀川の河川敷で、どの人も身じろぎ一つせず、スピーカーに耳を傾けていた光景が印象に残っています」。
16歳だった松本貞子(守口市、圏副総合婦人部長)。
「アルバイトして貯めたお金で買ったばかりの御書を抱えて参加しました。大阪大会の後しばらくは、ゴワゴワになったままの御書を使いました」と笑う。
島田アサコ(奈良県橿原市、婦人部副本部長)は、当時4歳の三恵子をおぶって参加した。
「今で言うと心身症だと思うのですが、乗り物が怖くて乗れませんでした」。その症状が原因で夫から離婚を迫られた。
「阪大病院にも行きましたが治らなかった。そんな時に学会の座談会に行ったんです」。夫と別れ、右腕が不自由な母と病弱な一人娘を抱え、アサコは学会の信心を選んだ。88歳の今も元気に活動する。
大阪大会は親しい先輩から「この会合に行かへんかったら、一生後悔するで」「池田先生が今日、出て来はるんや」と誘われた。背中におぶった三恵子のサンダルが、雨で水かさの増していた土佐堀川に落ちた。
「男子部の整理役員の方が、急いで手を伸ばしてすくい上げてくれました」。
大阪大会から帰宅する時、島田は「あれだけ乗るのが怖かった市電も不思議と気にならなかった」と語る。その後、少しずつ学会活動に参加する中、心身症は薄紙をはぐように改善し、3年ほど経って完治した。