民衆こそ王者ー池田大作とその時代 青年の譜(9)「大阪事件」(3) 15 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  「助けて勝ち 助けられて 進むなり」 ④


 敬一に真っ先に信心を勧めたのは兄の厚至だった。鶴橋駅前で「みどり屋」という食堂を営んでいた。次女の井上清子(生野区、支部副婦人部長)が振り返る。

「父は社交的な反面、人のよすぎるところがありました。食品組合ある人から頼まれ、店を抵当に入れてお金を貸したんです。しかし、その人がお金を使いこんでしまい、家族そろってテントくらしになったことがありました」。

 11人家族だった。立ち退き先もなく、役所に頼み込み、差し押さえられた店の前に一時的にテントを張った。転居先が決まるまでの半年ほど、ご飯と塩昆布だけの日が続き、雨が降るとテントの中で傘を差した。近所からは「創価学会に入ればどうなるか知りたかったら鶴橋駅のガード下へ行け」と揶揄された。


 後年、富井厚至は池田と懇談した際、テント暮らしの苦境の日々を語った。池田の「知ってるよ。ぼくも行ったよ」という一言に、厚至は絶句した。厚至が不在の時に、池田は一家の住むテントを訪れたことがあったのである。

「先生は、関西の学会のことを本当にすみずみまでご存じだったのだと思います」四男の富井修(天王寺区、副支部長)は語る。厚至の8人の息子たちは独り立ちした後、学会活動と仕事に励み、全員が自分の家を建てている。


 池田は釈放後、勾留中に読んだ何冊かの本を関西の同志に贈った。そのうちの一冊、フランスの詩人ビクトル・ユゴーの選集には、池田の跳ねるような筆跡で次の言葉が記されている。

 「正義乃戦ハ一生續(つづく)く 助けて勝ち 助けられて進むなり」