民衆こそ王者ー池田大作とその時代  青年の譜(8) 「大阪事件」(2) 8 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  「代われるものなら」 ③


 池田は高校生の世代に向けて語った「青春対話」という連載で、「大阪事件」の社会的意義について平明に述べている(『池田大作全集』第六四巻)。その中に「証拠もないのに、なぜ罪をかぶせることができたのか不思議です」という高校生の疑問が紹介されていた。池田の冤罪をつくりあげるために、警察と検察は学会員たちに対して、どのような取り調べをしたのか。


 林智栄子(関西婦人部主事)は高麗橋の三越百貨店に勤める二十歳の女子部員だった。

 病弱だった母が、信心を始めてからみるみる健康になり、1日三食、食べられるようになった。

「母は座談会から帰ってくると『会場には大きな提灯があってナ』『きょうは歌を歌ってナ』と嬉しそうに話すんです。そのうち踊り出すんちゃうか、と思うほど元気になりました」。


 林は戸別訪問を疑われ、守口警察署と大阪地方検察庁に合計10日ほど通わされ、取調べを受けた。連日、朝から晩まで続いた。脳卒中で伏せっていた父の容体が気がかりでならなかった。気丈な林は「こんなんしてたら会社に行かれません。もし、クビになったらどないしてくれはるんですか。家が大変やのに。警察が責任とって、雇うてくれはるんですか!」と刑事に詰め寄った。


 大阪地検では検事たちに取り囲まれた。百貨店の上司にまで電話をかけられた。

「私を取り調べた検事は、のちに池田先生を担当した検事でした。『やったやろ、やったやろ』と机を叩かれ、名刺サイズの池田先生の顔写真を見せられ、『知ってるやろ』『知ってるはずや』と。もう恐ろしい剣幕でした」。