「代われるものなら」 ②
峰山は高校卒業後、阪急電鉄や宝塚歌劇団などの創始者として知られる小林一三が大阪府池田氏につくった図書館(「池田文庫」)に勤めていた。近況を話すうちに、後書(日蓮の遺文集)をまだ持っていないことが池田に知られた。
「『四万冊も本がある図書館に勤めているのに、後書は持ってないの?』と言われて、『女子部は教学で立ちなさい』と懇々と教えてくださいました」
さらに池田は便箋に「月光の如く尊き乙女(すがた)して 永久の功徳を強く受けきれ」と書き、その場で峰山に贈った。
「あの日が、私が本当に信心を始めた日です」と振り返る峰山。教学にも本腰を入れ始めた。
週刊誌に学会批判が載った日の朝、出勤すると、その雑誌が必ず机の上に置かれていた。
「学会を嫌う壮年の方が職場にいたんです。ときには面と向かって罵声を浴びせられました」。峯山はひるまず雑誌記事の誤りを語った。
「御書に『三障四魔』とあるでしょ。信心していたら、そんなことが起こるのは当たり前と思えるようになっていました」と笑う。
大阪地検の廊下で峯山は、いきなり写真を撮られた。
「私を含めて何人かが地検の廊下に立っていました。すると刑事か検察の人かわかりませんが突然、目の前でパシャパシャ!とフラッシュをたいたのです。そこにいた学会員全員の顔写真を次々と撮られました」。