民衆こそ王者ー池田大作とその時代  青年の譜(5) 「夕張炭労事件」(上) 2 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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  吹雪の日の出会い ①


 清水沢に住んでいた岡本梅子。バスに乗り合わせて大会に向かったが猛烈

な雪の中、バスが立ち往生してしまった。会場まであと4キロほど残っている。

ゆうに1時間以上かかる雪道を、一行は黙々と歩き始めた。「私は、足の悪い

入信して間もないおばあちゃんをかかえて歩きました」(岡本の手記)、どうして

も皆より遅れてしまう。「吹雪で全然先が見えず、暗くもなってきます。でも大き

な声でお題目をとなえて歩きました」。


 しばらくして小型のトラックが通りかかった。事情を話すと快く乗せてくれた。「交番がうるさいから」と、会場近くの交番の少し手前で降ろしてもらい、運転手

に礼を言い、息を弾ませて会場へ急いだ。


 建物の外に、人影が見えた──居合わせた人たちにとって、それが池田との

初めての出会いだった。彼らの声は、22年後、池田が会長辞任した直後の「聖

教新聞」に載っている(1979年5月15日付)。

 「あの時は吹雪でなあ。一寸先も見えなかった」

 「入り口でさあ、オーバーも着ないで待っていてくれた人がいたなあ。池田先生だった」

 「ホント、あの時、胸がジーンと熱くなって。この人とともに広布のために働こ

う、苦労のしがいがあるというもんだ、と思った。こごえた体もいっぺんにあったかくなって・・・・」

 

この出会いが「(夕張の)草創の人々の間で、いまだに語り草になっている」と、

記事は伝えている。

 岡本は、文京支部の幹部たちが口癖のように言っていた言葉を思い出した。「わが文京支部には、池田支部長代理という凄い人がいる」「なんでもレントゲ

ンのように見抜く人だ」。


 雪まみれになってたどり着いた参加者たちに池田は「やあ!どうもご苦労さまでした」と声をかけ、次々と会場に迎え入れた。