写真ー人生を照らす光   指導者の孤独 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 「巨大組織を率いる指導者の孤独を撮りたい、という思いもあった」。そう立木は語る。『大いなる太陽』の巻末に収められたインタビューでは、指導者としての池田の葛藤を聞き出している。ワシントンでの会合を振り返り、立木は「(感動する大群衆の)渦の中にいらっしゃる会長を見ていて、『大変だなあ』と感じました。会長ご自身にしてみれば、大変ではすまないことなのでしょうが」と言った。

 池田は「みなが歓喜していれば私もうれしいし、みなが悲しかったら一緒に泣きたい。心でそれはあっても、しかししかし多くの場合、不可能です」。そしてこう語った。

 「自分でいうのもどうでしょうか・・・・・私は常に次の一歩考えなければならない宿命的な立場にいます」「感傷は往々にしてその場だけのものともなりますし、歓喜は永くもっていてこそ、人生に歓喜の日々をつくり出していくのですから」


 同じ観点から池田の葛藤を描いたジャーナリストに草柳大蔵がいる。昭和40年代、草柳は池田に同行取材した。なぜこれほど多くの若者の信頼を集めるのか。それが取材理由の一つだった。1967年(昭和42年)の夏、仙台。池田と学会員の記念撮影が行われた。その一コマを、草柳は複数の雑誌に書き残している。

 「ひとりの女子高校生が時間におくれて駆け込んできた。白いセーラー服が背中にぴったりくっつくほど汗をかき、荒々しい息をついている」(『文藝春秋』69年9月号)。

「少女は、がらんとした会場に入ると、撮影の終わったことを知って、肩をふるわして泣いた。学校の行事が重なって時間に間に合わなかったという」(『時』68年12月号)。

 会場を出る前に彼女を見つけた池田は「泣くんじゃないよ、おかしいよ」と握手し、「よく勉強して創価大学にくるんだよ」と励ました。少女はさらに号泣した。「さあ、行こうか」とスタッフに語り、後ろも振り返らず歩き出した。


 草柳にとって、その去り際の印象が強烈だった。

「少女の心情を思えば、あまりに素っ気ない態度に映った」という草柳は、その夜、「あなたは少女の涙をどう思うのです?」と問う。池田は「さっきは、私だって心の中で泣いていましたよ」「しかし、私はあの場で泣くわけにはゆかないんです」と答えた。そして、自分が何を背負って生きているのか、丁寧に説明した。

 「あの子の汗びっしょりの顔を見て、私も泣けてならなかった。が、あそこで私が泣いたら、まわりの人がみんな泣いてしまう。そうすると、創価学会は情意的(エモーショナル)な団体だということになってしまう。感情の団体というラベルが貼られてしまう。だから私は我慢したんです。つらかったですよ」「真実はそうではなくても、世間にはそうとられます、私は哀愁をつくれないんです」(前掲『時』)

 「それから彼(=池田)は『日蓮は泣かねども涙ひまなし、という言葉があるんです』と、ポツンとつけ加えた」(前掲『文藝春秋』)。さらに草柳は、日蓮の言葉をこう読み解いている。

「私は人間の優しさをいい当てた言葉だと思う。優という字は、ニンベンに憂うと書く。人が人を憂える、他人の痛みや悲しみを自分のものと感じる能力である」(前掲『時』)。


 組織を率いる者として、自らの喜びも苦悩も軽々に他人に見せない池田。しかし、ひとたびカメラを手にすると、何の気兼ねもなく、ストレートに自身を被写体にぶつけてきた。

 池田の写真集を一枚ずつめくりながら、日本を代表する写真家の白川議員は「おこがましい言い方になりますが、池田会長が撮影した写真は実に素直です。それが一番素敵なところだと思う」と語る。「写真がうまくなると皆、構図やピントの位置にこだわる。プロでも素人でも、誰かに見せることを意識すると、どうしてもいやらしさが出るものですが、そういういやらしさが全然ない」。

 さらに「広がりがある」とも評する。

「写真のもつ広がりは、撮る人の心の広さに関係する。広がりがあると希望が生じる。理想を感じさせ、人間を安堵させる。池田会長にはそういう写真が多い」。

 「何年か前、東京の港区で『自然との対話──池田大作写真展』を拝見しました。まずタイトルが素晴らしい。『自然はただのモノではない』という思いが伝わりました。人間の精神をつくった根本が自然なのだから、我々が自然から何を受け取るかが勝負です」