東京の創価婦会館(現・信濃文化会館)に、池田香峰子がかき氷の差し入れをもって来たことがある。
1978年(昭和53年)6月10日。「その日は婦人会館の開館を記念して、関西婦人部が勤行会を開いていました」(浜田幸美、大阪・布施大蓮圏副婦人部長)。
その場で香峰子は語った。「我が家ではあの日以来、7月17日には毎年、かき氷を食しているんですよ」。
”あの日”──中澤喜代子(豊中牧口圏副婦人部長)にも、似たような出会いがある。
「池田先生が会長を辞任された昭和54年の、7月16日です」。
池田の名代として関西の会合に出席した香峰子と、婦人部の代表が懇談の機会をもった。「皆で一緒に」と中澤たちが用意した宇治金時を見て、香峰子は微笑んだ。
「かき氷は、主人が出獄した7月17日、関西本部で戸田先生がご馳走してくださったのです」。「静かに話されたあの姿を、生涯忘れることはできません」(中澤)。
1957年(昭和32年)7月。29歳の池田は、見に覚えのない公職選挙法違反の容疑をかけられ、大阪府警に出頭した。
なぜ冤罪が謀られたのか。前年夏の参議院選挙の大阪選挙区で、学会推薦の白木義一郎が勝利。
「”まさかが実現”」(「朝日新聞」)、「大番狂わせ」(「読売新聞」)等と大きな注目を集めた。既存のどのような権威、権力にも頼らない民衆勢力の台頭である。
57年4月、参院の補選で学会推薦の候補が破れ、一部の学会員に選挙違反者が出た。大阪地検は学会の組織的犯行であると決めつけ、すでに実質的な学会の柱となっていた池田を狙い撃ちにした。
「自白しなければ戸田会長に手をかける」と恫喝したのである。
やってもいない罪を認めるわけにはいかない。だが、すでに衰弱し始めている戸田を、真夏の牢獄に入れさせることなど、絶対にあってはならない・・・・・独房での呻吟の果てに、池田は戸田を守るため一身に責任を負い、真実を法廷で明らかにし、正義を勝ち取る闘いを選んだ。