戦争花嫁。ウォー・ブライド。
終戦後、日本に駐留した外国人と結婚し、相手国に渡った日本人女性である。
人数。時期。渡航先の国。外務省、厚生労働省等に公式データはない。ある調査によると1960年ごろまでに、4万から5万人がアメリカやオーストラリアに渡った。
戦後のアメリカで、これほど冷遇された存在も珍しい。
第一に、法的な保護がない。
米国への帰化申請を認めない「新帰化法」(1906年)が立ちはだかっていた。
50年、「改正GIフィアンセ法」が定められる。ようやく進駐軍兵士の妻子に限って入国が認められた。
しかしアメリカは”合衆国”である。60年代に入っても、多くの州で異人種間の結婚には大きな制約があった。
第二に、社会的な差別である。
50年代、アメリカ全土を「マッカーシズム」の暗雲が覆った。”アメリカ的でないもの”を根こそぎ排除するイデオロギー。戦争花嫁も槍玉に挙がった。
結婚手続きに1年以上かかることはザラだった。病歴、生活状態はおろか、思想信条までも立ち入ってチェックされた。
第三に、家族の壁。
ようやく結婚と入国が認められても、夫婦双方に「親の壁」があった。
夫の親は「ジャップの嫁だけは連れてくるな!」
妻の親は「ヤンキー野郎と結婚するなら勘当だ!」
双方とも、戦争で命を落とした親戚や知人が少なからずいた。
一人の人間として、女性として、夢を描いて渡ったはずのアメリカ。彼女たちの運命は過酷を極めた。
祖国からも、夫の国からも切り捨てられた「もう一つの戦後」があった。