「アメリカさんと結婚するような人間は、どこか違うのよ。お前は普通の娘なんだから。早まらなくてもいいじゃないの」
テキサス州オースティンのアキヨ・リウェリン。1959年(昭和34年)、24歳の時に渡米した。いつまでも母の言葉が心に刺さった。普通って、何かしら。私は普通ではないのか。
神奈川県のキャンプ座間で働いていたころ、駐留軍兵士の夫と結ばれた。3歳の長女と1歳の長男の手を引いて太平洋を渡った。14日間、船にゆられオークランドに着岸。とたんに心細さが襲ってきた。歩くたびに涙がこぼれ落ちた。
たどり着いたのはカンザス州のフォートライリー、ここも基地の町である。庭のない二軒長屋に住んだ。
英語が話せない。話し相手がいない。知人がいない。夫の実家では冷たくあしらわれる。親の反対を振り切った手前、口が裂けても泣き言は言えない。日本への手紙では「心配いりません。私は幸せよ」と強がった。
彼女たちの苦しみは、日本のマスコミでも報道された。
「敗戦日本でこそ玉の輿と思えた結婚は米国本土の厳しい現実にうちひしがれ離婚 自殺などが続出して ルーズベルト元大統領夫人も警告を出すほどだった」(毎日新聞社『一億人の昭和史』)
アキヨは疲れ果てた。
ある日、日本の友人からエアメールが届く。文面を追う目が一点で釘付けになった。
「絶対に幸せになれる」
学会員の友人からだった。