敗戦の色濃い東京。背の高い男が焼け野原に茫然と立ちつくしていた。
折れ曲がった煙突。焼け爛れた電柱。かつて教鞭を執った私塾「時習学館」は跡形もない。
撮影の西垣六郎が回すカメラの向こうで、男が和服の裾を払い、瓦礫の山に思い腰を降ろす。
心配そうに寄り添う戸田会長夫人役の新美千代・・・・・・。
「ハイ、カット!」
メガホンをとる舛田利雄の野太い声。「いいねー、丹波ちゃん!」
1973年(昭和48年)4月25日。東京江戸川区郊外のロケ地。
カメラの脇で、池田会長が熱演を見守っていた。原作者としての陣中見舞いである。
「映画とはいえ、本物そっくりですねぇ。昔を思い出しますよ」
昭和20年にタイムスリップしたような光景に、会長が感嘆した。
廃材などの処分場として使われていた埋立地である。美術監督の村木与四郎が、たまたまハゼ釣りに通っている時に発見した。
トラック二台分の廃材を焼き、コンクリートの塊を転がし、約二週間で作り上げた。
撮影が一段落した。丹波が休憩に戻ってくる。会長が声をかけた。
「戸田先生、おはようございます」
「おっ、伸、元気か!」
役になりきっている丹波。おおまじめな応対に笑いが弾けた。
学会本部への帰途。車中で現会長の原田稔に語っている。
「戸田先生の門下が、いかに大勢いたとしても、現実に先生を宣揚したのは、私しかいないんだよなあ」
撮影快調である。
学会側の協力もスムーズだった。現場の注文に応じて、担当の鈴木琢郎が精力的に資料を提供してくれる。スポンサーの現場への介入。”職人たち”にとって、これが一番カチンとくる。幾多の苦い記憶がある。配給会社に政治力を持つ大物の鶴の一声で、どれだけやる気を削がれたことか。
池田会長は一切、口をはさんでこない。現場第一。学会のコントロール下で、宣伝映画をつくるのではないか。懸念は杞憂だった。
スチールマンの中山章は、どうやって「学会らしい」スチール(宣伝材料)を撮れるか悩んだ。
学会員が経営している飲み屋や食堂にも通った。庶民的で前向きな生き方の人が多い。すっかり意気投合した。
おい、中山は信心したのか。冷やかすスタッフもいた。「何を言うか。君、六道輪廻(仏法用語。迷いの世界から抜け出せない意)を知っているか」と切り替えした。
作中で、拘置所に入った戸田城聖がシラミをつぶすシーンがある。
生きたシラミを調達しなければならない。日本伝染病研究所から20匹を借りてきた。寒いと動かない。小道具係りがヒーターや人肌で温めた。シラミ一匹の動きにも執念を燃やした。