兄たちが復員してくる前の敗戦の年の9月、私(池田名誉会長)は17歳であった。私は大きなリュックサックを背に、幕張の駅に降り立った。
戦争で焼け野原になった東京には、満足な食糧はなく、一家の食べ物を手に入れるために、幕張の農家まで買い出しに来た。
すし詰めの列車からホームに降りると、私はめまいを覚えた。買い出しといっても、訪ねるあてはなかった。
麦わら帽子を被った一人の農家の主婦らしい人のところに近づいていった。
婦人は私の方を見て言った。
「あんた、どこから来たんだね」素朴だが温かみのある声であった。
「東京の蒲田です」
「そう。いやに顔色が青いね。疲れているのかい」
「・・・・結核なんです」
「まあ・・・・少しうちで休んでいきなさい」
「兄弟はいなさるの」
「はい。兄たちは兵隊に行ったままです」
「それで、あんたが買い出しにきているんだね」
婦人は私の家の様子を聞いた。私は、家は空襲による類焼を防ぐために強制疎開させられたことなどを話した。
「今うちには余分なものは何もないけど、サツマイモがあるから持っていきなさい」
「またいつでもいらっしゃい。あんたのことは覚えておくからね」
私は一貫12円で、六貫ほど分けてもらった。婦人の親切がありがたかった。
その月のうちに、私はまた幕張にやってきた。婦人は約束通りに、喜んで私を迎え、カマスいっぱいの芋を譲ってくれた。
食糧難で人の心も殺伐としていた時代であっただけに、婦人の素朴な真心は、私の胸に深く染みた。
それ以来、その婦人と会うことはなかった。しかし、毎年サツマイモが出回る季節になると、私はあの婦人の優しい笑顔を思い出すのであった。
参考文献「新・人間革命 勇舞の章」