私(池田名誉会長)は、兄たちのなかでも、ことのほか長兄の喜久夫に信頼を寄せていた。この兄とは、いくつもの忘れがたい思い出があった。
その一つが長兄と分け合った一枚の鏡の破片である。この鏡は母が父のもとに嫁いだ時に自参した鏡であった。何かの拍子でその鏡が割れてしまった。
長兄と私は、破片の中から、それぞれ手のひらほどの大きさのものを拾った。それは二人の大切な宝物になった。
長兄は徴兵されると、その鏡の破片を持って出征していった。
私は、兄は戦地にあって、この鏡を取り出しては母をしのび、自分のことも思い出していたにちがいないと思った。私もまた、破片を見ては兄をしのび、空襲の時も鏡の破片をポケットにしのばせて、焼夷弾の下をくぐり抜けてきた。
終戦を迎えると、私が勤めていた新潟鉄工所は閉鎖になった。私は下丸子にある会社に勤め家計を支え、東洋商業の夜学の2年に編入した。